歴史を伝えるもの

宇都宮、高崎、足利で行われていたいわゆるキタカン(北関東)3場の競馬は、経営難を主な原因として2000年代に相次いて廃止された。その後、競馬法の改正やネット投票の隆盛によって各地の地方競馬が息を吹き返した経過があるだけに、「北関東のからっ風」の風土で灯され続けていた競馬の火が、公営ギャンブルに対する「逆風」に耐えられなかったのはなんとも残念ではある。

さてこの夏、沼田方面に足を伸ばしたついでに高崎市内に宿泊した機会を利用し、キタカンの一つだった高崎競馬場の跡地に行ってみた。

高崎競馬場は高崎駅から歩いても15分ほどの好立地にあった。私は高崎方面に競馬友達がいたこともあり、90年代には何度も遊びにいったことがあるのだが、残っている印象としては「とにかく居心地がいい」の一言だった(これはキタカン3場どこも同じ)。こぢんまりとしたスタンドでのんびりと競馬を楽しめる。地元の競馬ファンにザラついた雰囲気はなく、メインレースの頃には売れ残った焼きそばなんかが100円で売られていて、売店のオバちゃんも気さくだった。

高崎競馬は2004年12月31日にその最後の日を迎えたが、当日は生憎の降雪となり、メインレースの高崎大賞典が中止となったまま歴史の幕が降りることになってしまった。

廃止後の高崎競馬場は、しばらくはスタンドが残されて場外馬券売り場となり、また馬場内は高崎競馬場運動公園として市民に開放されていた。その後、県がコンベンション施設として活用することとなり、旧スタンドなどは平成28年に解体、令和2年には群馬コンベンションセンターがGメッセが開設された。ただ、地方競馬の場外馬券売り場(BAOO高崎)は移設され、敷地内で営業を続けている。

Top_mv01

(大きなコンベンションセンター GメッセHPより)

Dsc_0745

こちらは営業中のBAOO高崎

Dsc_0744 

敷地全体はこんな感じ

Dsc_0747

右手にBAOO、左手にGメッセ、正面の遊歩道はコース跡

コンベンションセンターは競馬場の内馬場にあたる部分に建設されており、私が訪れた日は企業の研修や会議等の予定が入っていたものの、平日ということもあって閑散として雰囲気だった。そしてコースの形状に沿って遊歩道が整備されており、そこがかつて高崎競馬場であった数少ない痕跡のひとつとなっている。

 高崎競馬(あるいは00年代に廃止された各地の地方競馬)の廃止の判断は、当時の社会情勢を踏まえるとやむを得ない選択だったと思う。

ここ15年内に競馬ファンとなった方にとってはすでに「歴史」の中の存在であるキタカンだろうが、現在でも矢野貴之騎手(高崎競馬出身)や森泰斗騎手(足利・宇都宮競馬出身)らが移籍先の南関東で活躍している。

無機質で清潔で大きな群馬コンベンションセンターと、駐車場を挟んで肩をすくめるように佇んでいるBAOO高崎の建物は、残酷なまでに対比的だった。だが懐古主義的な意味でなく、それもまた時代の流れであり、キタカン3場が果たしてきた役割を逆説的に今に伝える声なき声なのだと、晩夏の青空の下で私は感じたのだった。

Dsc_0748 記念馬券は外れ

| | コメント (0)

藤澤和雄厩舎 思い出の馬 5撰

デビュー間もないころから見続けて来た(そしてずっとファンだった)藤澤和雄厩舎を話し出すと長くなる。
今回はいつもの5撰だけにしておくが、著名馬だけでも選に迷うので、この際「重賞を勝っていない馬」だけでやることにした。

 

第5位 クラヴィスオレア
多田信尊氏は、大樹グループのマネージャー時代にはタイキシャトルやタイキブリザードの海外遠征に奔走。
その後、グローブエクワインマネジメントの代表として山本英俊氏所有馬など多くの優駿の取引にかかわっている。
90年代から和雄厩舎と歩みを共にしてきた、ある意味厩舎の歴史を象徴する人物であろう。
そんな多田氏がオーナーとして和雄厩舎に預託していたなかから1頭。本馬はDrone≒Lady Capuletを持つ母にタイキシャトル後継のレッドスパーダという配合。


第4位 シェーンメーア
同じRoberto父系と雄大な馬格に、和雄師がデビュー前に「シンボリクリスエスの再来」「府中2400が楽しみ」と吹いた。
大御所となった藤澤厩舎には国内外から期待と夢を乗せたの若駒が集まったが、大成せずに競走生活を終えていった馬が大半だ。
しかしそうしたサラブレッドたちもまた厩舎の歴史である。
名を響かせる名馬たちの裏に存在した多くのサラブレッドたちの代表として。


第3位 クロフネミステリー
当時ようやくオープン入りしたばかりの牝馬を、アメリカ東海岸の聞いたことのないダート重賞に遠征させた。
つまりこれは、当時まだノウハウの蓄積が少なかった海外(特に北米)遠征のテストケースとして敢行されたわけで、その馬名が「黒船の謎」というのもなかなか味がある話だと思う。
この経験をベースにしたタイキブリザードのbcは惨敗に終わったがものの、2年後にタイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を勝利して大樹グループと和雄氏の挑戦は結実することになった。


第2位 ヤマトダマシイ
デビュー戦で鮮烈な勝利を飾ったがクラシックへの殴り込みを目指した続く2戦目で故障、予後不良となった。
不慮の事故でこの世を去った馬たちの「無事だったら」は想像しないようにしているが、それでも本馬は30年近く経った今でも「もしも」を考えてしまう。トウカイテイオーに続く、皇帝の2本目の矢としてどんな光を放ったのかな…と。
和雄師の代名詞である「馬優先主義」はヤマトダマシイが厩舎に残したプリンシパル・理念なのだと私は疑わない。


第1位 レディブロンド
デビューがなんと5歳6月の900万条件(現在の2勝クラス)。またたく間に勝ち星を重ね、5連勝で9月末にスプリンターズSに出走した。結果は勝ったデュランダルから0.2秒差の4着。そして引退。生涯で先着を許したの3頭のみ、いずれもG1ホースだった。
新馬が終わり未勝利も終わり、先の見通しもないまま5歳になっても引退しない。そしてデビューしてから引退まで3ヶ月半の眩い輝き。この馬に出資していた濃厚な経験は何事にも変えられない。
良くも悪くも?和雄師らしさを最も戦績で表現した重賞未勝利馬はこの馬だろう。

| | コメント (0)

108年後の帰還

長い歴史を刻むイギリス競馬史の中でも、1913年(第134回)の英ダービーは最も衝撃的なレースの一つだろう。

馬群が勝負どころのトッテナム・コーナーに差し掛かかったとき、内ラチ沿いにいたひとりの女性が突如布のような何かを手に持ち、コース内に侵入した。両手を広げ立ちはだかった女性は、後方を追走していた当時の国王ジョージ5世の愛馬Anmerと激しく激突…エプソムの芝生の上に身を打ち据えられたのだった。そして意識がないまま病院に搬送され、4日後に脳挫傷で死亡した。

女性の名はエミリー・デイヴィソン。女性参政権を求めて過激な抗議活動を繰り返す団体の活動家(通称サフラジェット)だった。

レース中のコースに身を挺した不可思議な行動の動機は諸説あり判然としていないが、真相はどうあれ、英ダービーのさなかに観客が出走馬(それも国王の所有馬)と衝突して命を落とすという大事件である。

”サフラジェット・ダービー”として人々の記憶に刻まれたこのレースの勝ち馬Aboyeurは単勝万馬券の伏兵だった。その後は勝利をあげることができず大きな評価をされぬままに引退し、ロシアに種牡馬として売却される。最後はロシア革命の戦火の中で行方不明となってしまったのだから、Aboyeurほど不遇の英ダービー馬は他に類を見ない。

 

1929年に日本に輸入された*セレタは、その不遇のダービー馬Aboyeurの近親で、同じThomas Kennedy Laidlaw氏が生産した牝馬だった。

*セレタは輸入種牡馬*トウルヌソルとの間に第4回阪神優駿牝馬(現在の日本オークスの前身)を勝ったテツバンザイを産み、テツバンザイは英月という名で大東牧場で繁殖牝馬となっている。大東牧場は、室蘭の大実業家だった栗林友二が千葉で営んだ牧場であり、栗林は本邦におけるオーナーブリーダーの先駆けとなった。

クリフジやクリペロなど「クリ」を冠名とした多くの活躍馬を産んだ栗林家は、後にユートピア牧場を買収しローブモンタントやライスシャワーなどの名生産者・馬主としても名を知られるところである。

栗林家の元でテツバンザイはその後大きく牝系を広げ、天皇賞馬クリヒデを経由したポイントメーカーの分岐はマルゼンスキーで有名な橋本牧場、「モガミ」の冠で知られた最上牧場で血のバトンを繋いだ。そしてモガミヒメを購入したのが新冠町の村田牧場である。

村田牧場の村田康彰氏は筆者もやりとりをさせてもらった事があるが、理知と情熱を併せ持ち、非常に血統に造詣の深い生産者として知られている。決して大きくない生産規模の中から、スプリント王者ローレルゲレイロを筆頭としてソリストサンダー(かしわ記念2着)、モズベッロ(日経新春杯)、チャームアスリープ(南関牝馬3冠)などを輩出している。

過日のフォワ賞を制したディープボンドはモガミヒメの孫にあたるゼフィランサスの産駒となる。なお村田牧場がゼフィランサスにキズナを配した配合的戦略については、こちらのインタビュー記事に詳しい。

不遇のダービー馬Aboyeurが出た Laidlaw氏の牝系は現在も各地で枝を残しているが、不思議なことに近年のG1級となると前出のローレルゲレイロやDream Ahead(ジュライC、スプリングC)、香港の短距離王Hot King Prawn(センテナリースプリント)など短距離が活躍の場となっている。

そんな中で、”サフラジェット・ダービー”からちょうど100年後の日本ダービーを勝ったキズナとゼフィランサスの間に産まれたディープボンドが、前哨戦を鮮やかに逃げっ切って欧州2400m路線の表舞台にその名を高らかに掲げたわけだ。

ヨーロッパ外からの遠征馬が父系3代で凱旋門賞に出走するのもおそらく初めてだろうし、伝説の凱旋門賞馬*ダンシングブレーヴとアメリカの名牝*グッバイヘイローの仔が母父に鎮座しているのも味がある。様々な視点で興味深いディープボンドであるが、Aboyeurとその一族の末裔として、あの運命のレースから108年後のパリロンシャンでどんな走りを見せてくれるのか、興味と期待は尽きない秋である。

| | コメント (0)

角居厩舎 思い出の馬 5撰

今年は定年を待たずして角居勝彦調教師が引退された。新たな目標に向けての潔い卒業ではあるが、いち競馬ファンとしては角居師ほどの実績とスキルを持つ傑物を失うのは、何とも惜しいという感情を拭いきれないのも事実だ。さて、名馬の宝庫・角居厩舎から、筆者思い出の5頭を。

第5位 デルタブルース(01年産・父ダンスインザダーク)
ステイヤーとしての資質が花開いた菊花賞も見事なレースだったが、何と言ってもメルボルンカップだろう。オーストラリアの国民的ビッグレースを日本調教馬が勝つという想像ができなかったから、喜びよりも「えっ!?」という驚きだったことを覚えている。

第4位 ブルーイレブン(00年産・父サッカーボーイ)
Wordenの4*5・6の激しい気性で、名手・武豊をして「僕には無理」と言わしめたクセ馬。しかしその後、見事に立て直して再び重賞を勝たせた軌跡は、若き角居師の苦悩と才能とを表現している。サンデーもミスプロも含まない血統は種牡馬としてみたかった一頭だ。

第3位 トゥエルフスナイト(07産・父キングカメハメハ)
シーザリオの初仔である本馬は仕上がりが遅れ、3歳9月にようやくデビューして見事に勝利。この1戦だけで引退となったが、母の繁殖としての底しれぬポテンシャルを予見させ、後のエピファネイアやリオンディーズ、サートゥルナーリアを導いたとも言えるあのレースは忘れられない。

第2位 シャケトラ(13年産・父マンハッタンカフェ)
中長距離の覇権を期待される中、調教中の故障でこの世を去った素質馬。漆黒の馬体も血統背景も好きで、無条件に応援していたから、あの知らせはショックだった。最後のレースとなった阪神大賞典、唸る手応えの4コーナーは痺れた。

第1位 ウオッカ(04年産・父タニノギムレット)
タニノ同士の美しい配合から生まれた、稀代の名牝。敗戦も少なくないキャリアだが、鮮烈のダービー、驚異の安田記念、情念の天皇賞など、記憶に残るレースが多い。中でも最後の勝利となったJCは、早め先頭からゴールまでしのぎきったその頑張りに、自分の馬券を忘れて見入ってしまった。

もちろんこの他にも、ヴィクトワールピサやカネヒキリ、ルーラーシップなど印象深い名馬は数え切れない。ご自身が述懐されるように短距離の活躍は少ないものの、所属馬それぞれが個性的だったように感じる。平成の競馬史を彩る鮮やかな色彩こそが角居厩舎であり、その功績は決して色褪せず語り継がれるだろう。

|

素晴らしき勝利、美しき敗北

これほどにワクワクした感情を持ってジャパンカップを迎えるのは、もしかしたら今世紀になって初めてかもしれないと考えていた。90年代JCのカオス感とは質が異なるが、アーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトという稀代の名馬が集った今年のJCは、その純粋な磁力で私の感情を湧き立てたのだ。

アーモンドアイにとっては、最後の「証明」だった。
2歳時から尋常ならざる脚でタイトルを積み重ね、現役のみならず本邦競馬史上においても最強の一頭であることを証明し続けてきたアーモンドアイ。引退レースのJCでも素晴らしい勝利を飾り、それまでの評価が本物であることの最終証明になった。

コントレイルにとっては、持たざるものの「証明」だった。
2歳時から配合にべた惚れし追いかけてきた私はこれレースでも本命を打った。そして、一流のアスリートであるが一流の勝負師ではない福永祐一が、あの位置にコントレイルを導きレースをさせたとき、このコンビが持たざるものを見た。ネガティヴな意味では決してなく、パーフェクトたり得ない競走馬にとって、それを知ることは貴重という意味だ。飛行機雲という名の名馬と福永騎手が、今回の美しき敗北の意味を知り、これからさらなる高みへと飛翔していくことを願わずにいられない。

デアリングタクトにとっては、価値の「証明」だった。
同世代牝馬3冠がどれだけ価値のあるものか、それは新たな戦いのステージでしか証明できない。そしてこれまでとはレベルの異なるレースにおいて、結果として届かなかったとものの、3冠牝馬の称号が決して看板倒れでない価値を孕むことを、自らの末脚で証明した。

総括すれば、絶対女王アーモンドアイに3歳の俊英が挑んだものの、(騎手の胆力を含めて)力の差を見せつけられたということになろう。しかしそれぞれの競走生活において、非常に意味のある挑戦であり、レース内容であり、結果であったのだと私は感じている。

さらに言えば、キセキの大逃げやカレンブーケドールとグローリーヴェイズの粘りもまた素晴らしく、このJCを名勝負にした大きな要因であったことも間違いない。

夕日が勝者を照らす晩秋の府中競馬場で、来年は歓声を送れる日々が訪れんことを。

|

風は吹いていた

11月とは思えない麗らかな日差しと、競馬場とは思えない奇妙な静けさ。そして吹き付ける強風を、場内の実況アナウンスが伝えていた。

コロナ禍の中、府中(東京競馬場)の指定席が当選したので臨場してきた。

アイネスフウジンの熱狂のダービーから始まり、トウカイテイオー、サンデー旋風、エルコンドルパサー、サイレンススズカ、ディープインパクト、ウオッカ・・・・自分にとって府中は競馬の原点であり、現在地でもあり、もしかしたら未来かもしれない。

数え切れない出会いと別れを経験したここ府中でも、初めてだった。枯れ葉が風に流れてゆく音が聞こえるほどの静寂だ。

足りないものは、人間の熱だ。G1で浮かれるオイオイ勢ではなく、ひたすら競馬新聞を凝視して馬券を買い、「そのままっ」だの「よしデキた!」だの叫ぶおじさんの熱だ。競馬場に来てホッとするのは、そういった人間のどうしようもない性(さが)を目の当たりにすることができるから、なんだ。

紙馬券もいい。当たっていればなおいい。

府中の街並みも移り変わるが、変わらないものもこの風景にはある。きっと。

競馬場には光と影がある。残酷なまでに、美しいほどに。勝者と敗者を見つめるのもまた避けられぬ人間の営みなのだろう。

旧友と立ち食い蕎麦をすすり、馬券の健闘を祈りあい、別れた。

最終レースは、府中も阪神も金子だった。やはり競馬は金子だった。

風は相変わらず強かったが、それが向かい風なのか追い風なのかは自分次第なののかもしれない。夕日に浮かび上がる富士山のシルエットは得も言われぬ美しさで、またこの場所で幾多の素晴らしい競馬が繰り広げられることを願いながら家路についた。

また来るよ。

|

一瞬と永遠の間

もともとこのブログは一口のことを書く目的でないので、出資馬に対する想いなどを書くことはあまりないのだが、今日は残して置きたいと思う。

トロワゼトワルのことだ。

ノーザンファームが誕生する前からの古いファンである私にとって、畏怖や反感や尊敬や憧れの原点は、社台ファームだった。その社台の黄色と黒の縦縞勝負服を背に出資馬が古馬のG1に出走するという事実は、単なる感動や緊張というのではない、奇妙な幸福感をもらたすものだった。

そして、自分なりの想いを込めて競馬を長年観ていると、稀に、レースでの一瞬が永遠に感じられることがある。

例えばトウカイテイオーがダービーの直線で先頭に立ったとき。

例えばライスシャワーが思い出の淀で減速していったとき。

*エルコンドルパサーが凱旋門賞で*モンジューを引き離したとき。ウオッカがジャパンカップで僅かなリードを最後までゆずらなかったとき。

そして今日、トロワゼトワルが4コーナーを先頭で回り、稀代の名馬アーモンドアイに並ばれるまでの僅かな間。

悲しいときも、嬉しいときもある。一瞬と永遠の間に感じるそれは、何なのだろう。
それがわからないから、競馬を続けているのかもしれない。

今日の状況下、現地で見届けることができなかったのは残念ではあるが、忘れ得ないレースになったこともまた事実。騎手を含めた関係者には感謝しかない。

|

寄稿しました

ライトノベル作家にして競馬をこよなく愛する蒼山サグ先生が主催した合同誌『蒼山サグ的競馬読本(創刊号)一口馬主入門』に寄稿させていただきました(このブログで公開した文章に加筆修正したものです)。

一口馬主をテーマに、多彩な執筆者がそれぞれの切り口で綴った一冊です。

冬コミ『3日目月曜日 南地区 "マ" ブロック 25a』にてお待ちしておりますので、興味のある方はぜひ足をお運びくださいませ。

|

世界の牝系100に追加する(4)

【Goofed】

本家では選から漏れた17号族から、レディースH勝ち馬Goofedの牝系をチョイス。
このボトムラインで最も有名なのは、ジャックルマロワ賞を制したLyphardで異論はないだろう。同馬は引退後、*ダンシングブレーヴやAlzaoなどの父となり、歴史に名を残す大種牡馬となったのは周知のとおりだ。

Lyphardの半妹Nobiliaryは牝馬ながら英ダービーで2着したが、後継には恵まれなかった。

Dumfriesの分岐は広く枝葉を伸ばしているが、中でもFlower AlleyはトラヴァーズSを勝ち、種牡馬としても*アイルハヴアナザーを送り出した。またFlower Alleyの母*プリンセスオリビアは後年輸入され、産駒のトーセンラーとスピルバーグはともに切れ味鋭い末脚を武器にG1馬となった。両馬はGoofedを5*5・5で持つ。

千代田牧場が導入したLyphardの半妹*バーブズボールド。サイレントキラーやシンコウバーブなど個人的に思い出深い馬名が並ぶこのラインの一等星は、日本調教馬として初めてヨーロッパG1を制した快速牝馬*シーキングザパールだろう。その仔*シーキングザダイヤはダート戦で活躍後、チリで成功種牡馬となっている。

また近年、Enthrallerを経た分岐からはアレスバローズやソルヴェイグなど短距離で結果を出すスピード馬が目立ち、今後の伸展が期待される。

Lyphardは種牡馬としてはもちろん、ディープインパクトやハーツクライの母系にもその名を残している。Lyphard以外のラインも各地で拡がりをみせており、今後も世界の馬産に影響力を持ち続ける牝系と言えるだろう。

 

Goofed 1960 F-17   
|Lyphard(ジャックルマロワ賞/米仏リーディングサイアー)
|Barcas(ボーリンググリーンH/種牡馬)    
|Nobiliary(ワシントンDC国際・英ダービー2着他)
|Dumfries
||Diamond Spring
|||Diavolina
||||Go Boldly(ヴィシー大賞典3着)
||||Golden Way
|||||Ashkal Way(サイテーションH)
|||||Sentiero Italia(レイクプラシッドS他)  
|||Diamantaire
||||Devika
|||||Donatello(ゴルデネパイチェ2着)
|||Dance Image
||||*プリンセスオリビア
|||||Flower Alley(トラヴァーズステークス/種牡馬)
|||||Flowerette
||||||Arraignment(ブリテッシュコロンビアダービー3着)
||||||*オールステイ(きさらぎ賞5着)
|||||ブルーミグアレー(フローラS3着)
||||||ランブリングアレー(フラワーC3着)
|||||トーセンラー(マイルCS/種牡馬)
|||||スピルバーグ(天皇賞秋/種牡馬)
||||Interneto commander(ジャマイカ2歳牝馬チャンピオン)
||Dance Review
|||No Review(サンタバーバラH他)
|||*ダンスオンザコースト
||||ケイツーパフィ(クイーンS3着)
||||キングリファール(日本テレビ盃3着)
|||Dance Colony(アディロンダックS)
||||Gold Colony(ブッシャーS2着)
||||Big Prairie(種牡馬)
||||Cho Cho San
|||||Blueskiesnrainbows(スワップスS/種牡馬)
|||||Choo Choo(サンフランシスコマイル3着)
|||Promenade Colony
||||Promenade Girl(スピンスターS3着)
|||||Cavorting(テストS/オグデンフィプスS他)
|||||Thrstforlife(ベストパルS3着)
|||||Moon Colony(ペンマイルS)
||Dumfries Pleasure
|||Urbane(アシュランドS/ハリウッドスターレットS他)
||||Suave(ノーザンダンサーS/ジョッキークラブGC2着他)
||||Worldly(オハイオダービー2着/種牡馬)
|||Karsavina(愛オークス3着)
|Anya Ylina
||Ready for Action
|||Major Force(テトラークS)
|||Tasha’s Dream(メイヒルS2着)
|||Dancing Action(ペルー・ベナビデス&カンセコ賞他)
|||Miss Highjinks
||||Azzurro(インド・ラマスワニーステイヤーズC他)
|Tertiary
||Kefaah(ブックメイカーズクラシック/種牡馬)
||*プライマリーⅡ(輸入種牡馬)
||Ixtapa
|||Dark Nile(オカール賞2着/種牡馬)
|||Clear Spring
||||Spring Style(ロバートJフランケルS)
|*バーブスボールド
||Hooked Bid
|||*カーフィリィ
||||ホワイトハピネス(京都大賞典3着)
||*フックライン
|||ブランシュネージュ
||||グリム(レパードS・名古屋大賞典他)
||Miss Marbles
|||Smile of Desire
||||Vo Heart(豪・シャンペンクラシック)
||Magical Miss(豪・VRCオークス他)
||Thorn Dance(種牡馬)
||Page Proof
|||*シーキングザパール(NHKマイルC・モーリスドギース賞)
||||*シーキングザダイヤ(フェブラリーSなどG12着9回/種牡馬)
|||プルーフオブラヴ
||||リビングプルーフ
|||||テトラドラクマ(クイーンS)
||リファールニース
|||リファールカンヌ
||||ブルドッグボス(JBCスプリント3着・クラスターC)
|||ジューンブライド
||||コメート(ホープフルS2着/種牡馬)
|||ビッグフリート(関屋記念3着)
|||マヤノスターダム(阪神ジャンプS)
||サイレントキラー(ラジオ短波賞2着)
|Enthraller
||Excited Regent
|||Kendel Star(ビルスタットS2着/種牡馬)
||*エンスラーリングレディ
|||エンスラーリング
||||タイセイエトワール
|||||アレスバローズ(CBC賞/種牡馬予定)
||*アイリッシュカーリ
|||ソルジャーズソング(高松宮記念3着)
|||アスドゥクール
||||ソルヴェイグ(フィリーズレビュー)
||||ドロウアカード(フラワーC3着)
|||エールブリーズ(京王杯SC3着)    

ここでいったん、この追加企画は小休止とします。また機を観て追加するかもしれませんので、気長にお待ちくだされば幸いです。

|

世界の牝系100に追加する(3)

【Bitty Girl】

Bitty GirlはクインメアリーS等を勝って1973年の英最優秀2歳牝馬となった快速馬で、主にNijitとSue Warnerの2頭の後継牝馬によってボトムラインが広がっている。

前者からはアーカンソーダービーを制して米クラシックで活躍したBodemeisterとデルマーデビュタント2着Fascinatingの兄妹や、ラトロワンヌS勝ち馬She’s a Julieなどが出ている。本邦においては*キングナムラやケイアイエレガントなどもこの一族だ。

一方のSue WarnerからはBCジュベナイル馬Action This Day、ドバイで活躍したLord Admiralなどが輩出された。BCスプリント馬で社台スタリオンが導入した期待の種牡馬*ドレフォンはAction This Dayの甥にあたる。

この牝系の最も新しい輝きは、今年(2019年)の英オークスやヴェルメイユ賞、英チャンピオンズ・F&Mを制したStar Catcherである。

概観すると活躍馬の出現にややムラのある牝系ではあるが、名牝Star Catcherの登場と、*ドレフォンの導入というタイムリーな話題を供給しており、今後の拡がりに期待を込めての選出とした。

Bitty Girl 1971 1-F  
|Nijit (コティリオンS3着)
||Spanish Parade
|||Parade Queen(ミセスリヴィアS)
||||Obay(サウジ・国王杯2着)
||||Kydd Gloves
|||||*タクトフリー
||||||Ambassadorial(コリアカップ3着)
|||||She’s a Julie(ラトロワンヌS)
||||Untouched Talent(ソレントS)
|||||Bodemeister
|||||(アーカンソーダービー/ケンタッキーダービー2着/種牡馬)
|||||Fascinating(デルマーデビュタント2着)
|||||Top Billing(ファンテンオブユースS2着)
|||*キングナムラ(中日スポーツ賞4歳S2着)
|||Post Parade
||||Lemon Law(ロシア・イントロダクションS2着)
||||*ケイアイライジン(プリンシパルS)
||||ケイアイアレガント(京都牝馬S)
|Beaudelaire(モーリスドギース賞/種牡馬)
|*ワラダー (輸入繁殖牝馬)   
|Sue Warner
||Najecam(プリンセスS2着)
|||Action This Day(BCジュベナイル/種牡馬)
|||Eltimaas
||||*ドレフォン(BCスプリント/種牡馬)
||Lady Ilsley
|||Lord Admral(ジェベルハッタ/タタソールズゴールドC3着他/種牡馬)
|||Lynnwood Chase
||||Pisco Sour(ユジェーヌアダム賞)
||||Cannock Chase(カナディアン国際/種牡馬)
||||Star Catcher(英オークス/ヴェルメイユ賞)
||Quiet Down
|||Quiet Meadow(イートンタウンH他)

|

«世界の牝系100に追加する(2)