三里塚のマロニエ(3)

御料牧場の敷地内に建設された御文庫。

成田市の資料によれば、昭和13年頃から、地元では「秘密の防空壕が造られるようだ」との噂が流布していたという。実際にその建設が宮内省から建築会社の 間組(はざまぐみ)に建築が発注されたのが昭和16年、そして完成したのが同年12月8日と記録されている。日本海軍がオワフ島の真珠湾を攻撃し、アメリカとの全面戦争に突入したまさにその日である。

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三里塚のマロニエ(2)

北総台地の三里塚(=現在の成田市三里塚)に開かれた下総御料牧場は、この*ダイオライトと*トウルヌソルの2枚看板種牡馬、さらに「御料牧場の星の牝馬」と称される輸入繁殖牝馬群を擁し、戦前から戦後にかけての本邦馬産界を牽引した。

星の牝馬の末裔から数多の活躍馬が産まれ、競馬史に名を刻んできた事実はここに敢えて記すまでもないだろう。

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三里塚のマロニエ(1)

「…おい、本当に大丈夫なのか?」
その日、横濱海港検疫所に期待を持って集まった農林省や宮内省の高官者たちの間に、思わぬ戸惑いが広まった。当時の価格で18万円、現在の貨幣価値に換算すれば約30億円という巨額の資金を投じて手に入れ、遠い海を渡ってきた名馬が目の前にいる。

ところがその黒鹿毛馬の後脚は、あたかも混沌とした時代の行く末を暗示しているかのように、湾曲していたのである。

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平成の競馬をちら見で振り返る

というわけで元号が変わります。
当然ですがこの30年で競馬そのもの、あるいは競馬を巡る環境も大きく変容しました。ちょうど平成の初めころから競馬を観てきた自分が、「日本の競馬もここが変わったよなあ」と感慨深く思える出来事ベスト10をあげたいと思います。

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Superb in Rosesの謎

日本で1998年から馬主として活躍していた藤田与志男氏は、それよりも数年前にアメリカで競走馬のオーナーとしてのキャリアをスタートさせた。2000年11月、日本から所有馬*マルターズスパーブをアメリカのブリーダーズカップ・フィリーアンドメアターフに遠征させた(13着)が、同日のBCディスタフで5着に健闘したLu Raviという牝馬も、藤田氏が当地で所有していた競走馬だった。

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星明かりは見えずとも(3)

星を連れてきた。  
私はすっかり冷めたフライドポテトを口に運びながら、その意味をぼんやり考えた。人の間を縫うようにクロブチさんが戻ってきたころには正解にたどり着いていたから、自分もまだまだ捨てたもんじゃないな、なんて思った。

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星明かりは見えずとも(2)

みちのく大賞典といえば、これまでスイフトセイダイ、トウケイニセイ、グレートホープ、メイセイオペラなど岩手が誇る名馬たちが優勝馬に名を刻んだ、盛岡競馬場の名物レースである。いつか現地で観戦してみたいレースのひとつだ、と私は答えた。

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星明かりは見えずとも(1)

「プチャーチンの黄金の馬」を巡る小さな出会いから5年の年月が流れた。残念ながらその後あのベレー帽爺さんの顔は見ていないが、縷々流れていく日々を踏みしめて生きていると、ご褒美だろうか、ときどき面白い巡り合いがあるものだ。

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歴史の必然

アーモンドアイがライバルたちを抜き去り、悠然と3つめの冠を手中に収める瞬間、京都のみならず府中のスタンドにも期せず拍手が沸き起こった。過去の列強牝馬にもなかなか似たタイプが思い浮かばず、国外まで思索をひろげれば、凱旋門まで見事に差し切ったザルカヴァの面影だろうか。

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果ての春雷 ~早田牧場略史 番外編

朝から静かに降り続いていた小雨が止み、雲の隙間から薄日が差した。聞こえるのは秋の訪れを告げる虫の音だけだ。私が立っていたのは福島市の北に位置する桑折町北半田、かつて資生園早田牧場を営んだ早田家の旧邸宅である。

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