ひねくれ先生は旅の途中
平地シーズンが終了した英愛では、*デインヒルが3年連続でリーディングサイアーの座を保ったようだ。系統でみると*デインヒル系が3頭、Sadller's Wells系が4頭などTOP10の9頭を占めたNorthern Dancerの君臨が続いていて、集計にフランスを加えてみても、Dansiliあたりが喰い込んでくるものの勢力分布としては変化が無い。
これではつまらん・・と他の国を調べてみたら、イタリアでは*ドクターデヴィアスが2年連続でリーディングになっている。(ネタ元サイトのデータ集計方法が不明なので、参考程度に・・)
*ドクターデヴィアスは1989年アイルランド産馬。父Ahonooraで、前々回に取り上げた*ダンディルート同様、Djebelを経由するヘロド父系である。高松宮記念馬で現在はニュージーランド供用の*シンコウキングは半弟になる。
デューハーストSを勝って2歳シーズンを終えると、休養を挟んだデヴィアスは怒涛の連戦に向かう。緒戦G3で2着し英愛クラシックに進むと思いきや、アメリカのケンタッキーダービーに乗り込んで(もちろん初ダート)7着、帰国するや英ダービーに出走してここを快勝。返す刀で愛ダービーに向かうがここはSt Joviteに返り討ちに逢った。その後もインターナショナルS(4着)→愛チャンピオンS(1着)→凱旋門賞(6着)と連戦。再度アメリカに向かいブリーダーズカップのターフ4着。これで終わらず最後はジャパンカップ、トウカイテイオー勝利の影で10着。これが現役最後のレースになった。
3歳で英→米→英→愛→英→愛→仏→米→日のG18連戦そうできる芸当ではないだろう。
引退後は社台スタリオンで種牡馬入りし、Dエルシエーロの母ロンドンブリッジ(ファンタジーS)やタケイチケントウ(小倉3歳S)などまずまずの成績を残した。1997年にアイルランドへ買い戻された後はクールモアで供用され、2005年からはイタリアに移動してシエナのAllevamento della Berardenga(ベラルデンガ牧場)で種牡馬を続けている。
アイルランド時代にはCollier Hill(香港ヴァーズG1、カナディアン国際G1)やKinnaird(オペラ賞G1)などを出して成功しているし、イタリアでは大物こそ不在だが産駒数の多さで優位に立っているようだ。なお、珍しいところだとScream to Screamというアイルランド産馬がトルコで8Fと12Fの重賞を2勝し、当地で種牡馬になっている模様。
そもそもDr Devious(ひねくれ先生)の馬名はクールモアの代理人Demi O’Byrneのニックネームに由来するという説があるが、deviousには「遠回りな、曲がりくねった」という意味もあるから、流転の人生(馬生)を暗示しているかのようでもある。しかし道の先が成功なら、遠回りでもいいだろう。いつかまた日本で*ドクターデヴィアス直系の仔の活躍を見たいものだ。
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