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名車の輝き、名馬の記憶

洋芝が導入される以前は、暮れの開催ともなると、芝はその鮮やかな緑色を失って、日々厳しくなる寒さと共に冬の物悲しい雰囲気を競馬場にもたらしていた。

スプリンターズSは1999年まで有馬記念の前週に行われていたから、*ケイエスミラクルが散った日の思い出が灰色一色なのは、きっとそんな理由もあるのだろう。

前回触れたついでに、*ケイエスミラクルの父Stutz Blackhawkをちょっと調べなおしてみた。

Stutz Blackhawkはミスプロの直仔で1977年生まれ。
2歳の5月にデビューし、4歳12月に引退を迎えるまで40戦を走り、G外の一般競走とステークスで3勝を挙げたに留まっている。重賞はG1ワシントンフューチュリティ(D7F)の他、G3に5回出走しているが2着が最高着順で、要するに競走成績は大したことはない。

正直この馬が種牡馬入りした詳細な経緯はよくわからない。ちょうどMr Prospectorがサイアーとしての優越性を発揮し始めた頃だから、「大成しなかったけど、サンデー産駒という血に期待して種牡馬にしよう」的な文脈によるスタッドインだったのかもしれない。供用はフロリダであった。

種牡馬としての成績も大して見るべきところもなく、唯一の重賞勝ち馬*ケイエスミラクルの他は、Hawk in FlightがG3のCoaltown Breeders' Cup Hで2着している程度である。ただし(正確な数字は不明だが)1983年にファーストクロップを送り出してから2000年に死亡するまで、毎年そこそこの数の産駒が産まれているのは確か。

散々たる種牡馬成績にもかかわらずそれなりの需要があるのは、アメリカの馬産が血統の価値によって階層化していて、マイナーにはマイナー種牡馬なりに存在する余地があるという特徴に拠るところもあろう。日本ならば、種付け料の安さで初年度20頭の牝馬を集めたものの、目新しさが薄れた3年目は5頭、5年目に廃用となるといったパターンである。

1969年に由緒あるスポーツカーブランド「Stutz」を復活させたV・エクスナーは、最初に市販化までこぎつけたクーペにかつての名車「Blackhawk」の名を与えた。新生Stutz社も1980年代後半には休眠状態へと追い込まれ、かのマイナー種牡馬の由来となった「Stutz Blackhawk」も生産が途絶えてしまっているが、ファンの間では今でも人気は衰えないようだ。
*ケイエスミラクルの血は後世に継ぐことはできないが、Stutzの名車と同じように、後世にその輝きを語り継ぐことはできるのである。

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