鮫川という名の美しき信念
"The world is my oyster."とは「世界は私の思うままだ」といった意味を表す慣用句で、これはシェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」に出てくるセリフから派生した表現とのことだ。英語のoysterが広義の二枚貝も意味することを踏まえれば、おそらく利益の象徴たる真珠を生み出す貝、というのがこの表現の由来なのだろう。
きさらぎ賞出走のブラックシェルは、もちろん父クロフネと母オイスターチケットにインスパイアされた命名である。
ブラックシェルの母系は5代母のトサモアー(阪神3歳S、桜花賞2着)を経由して小岩井牝系の*フロリースカップに遡る、わが国有数の在来牝系である。*フロリースカップの孫の1頭であるスターリングモア(1929年産)は函館市湯川町の鮫川由太郎氏の下で繁殖牝馬となり、以降この母系は鮫川一族が浦河町に牧場を移し、代替わりを経ても大事に育てられていく。
スターリングモアから数えて4代仔となるリキエイカン(父*ネヴァービート)はクラシックにも駒を進め、5歳春の天皇賞を逃げ切り、当時のレコード(3分25秒8)をマークするなど活躍した。このタイトルにより種牡馬となったリキエイカンであったが、内国産サイアー不遇の時代という逆風もあり、目だった成績も残せぬまま消息は途絶えてしまった。
1980年秋、「用途変更」という名の悲しい運命を目前にしたリキエイカンを救ったのは、他でもない生産者の鮫川清一氏。当時まだ20代の若き牧場主は、その噂を聞いて「リキ」の元に駆けつけ、彼を連れ帰り、涙を流しながら汚れを洗い流したのだという。
余生を鮫川牧場で幸せに過ごしたリキエイカンは、2001年、35歳という長寿を全うしてこの世を去った。
リキエイカンの血は父系に残らなかったが、その半妹ヤマニサクラはナムラピアリスの母となり、ナムラピアリスが産んだ仔の1頭がオイスターチケットと名づけられた。
オイスターチケットは蠣崎牧場、そしてブラックシェル自身はノーザンファームの生産馬だが、この馬の牝系を愛おしみ脈々と繋いできた鮫川牧場の信念なくして、この馬の存在はありえないということだ。
「ブラックシェル」というたった7文字の中にそんな感傷を抱いてしまうのは、競馬のやっかいなところだろう。
そしてレースの結果は思い通りにならないのから、さらにやっかいだ。
The world isn't my oyster! なのである。
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