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それは13年目の結実

では問題です。米3冠路線に*カジノドライヴを送り込んで話題となった藤澤和雄厩舎ですが、最初に海外遠征を敢行した馬は何だったでしょうか?

・・というカルトQを秒殺できたなら、あなたはなかなか素晴らしい。答えは1995年の*クロフネミステリーである。

 

*クロフネミステリーは1990年生まれ。父Clever Trick 母Certain Secretという血統の外国産牝馬であった。
馬主は共同馬主クラブの大樹ファームだが、あまり馴染みのない血統も災いしたのか一口も売れず、冠名が付かなかったというエピソードを持つ。現在の藤澤ブランドからは考えられないが。

1992年にデビューすると芝の1200~1600を中心に使われた。主戦は岡部騎手、先行抜け出しの教科書のようなレースをする馬だった。900万で走る中堅級の存在だった*クロフネミステリーは、明け5歳になるとダート戦で連勝して一気にオープン入り。そして3月にアメリカへと遠征することになったのである。

ターゲットとなったのは、名の知れたG1でなくディスタフHというダート1400MのG2戦。聞いたこともない遥か東海岸アケダクトのレースになぜ敢えての遠征なのか?自分を含めて多くの人間が首をかしげたものだ。岡部騎手が騎乗しての結果は8頭立ての3着。

しかしまあ、名前の如く「ミステリー」に満ちたこの出走も、俯瞰してみれば様々な意味を持っていることがわかる。

80年代までの海外遠征の多くは、国内での最強を証明した後に海外の有名レースへと挑戦する、といった文脈によるものであった。しかし最強馬シンボリルドルフが(不運な故障もあり)サンタアニタで一敗地にまみれてから、一時期海を越える挑戦は途絶える。
香港の招待レースが始まった90年代からは次第に”海外でも適性があれば連れて行く”という意識になり、この95年あたりからは欧米へと積極的に出征する陣営が増えている。*クロフネミステリーは海外遠征史の中でこの流れの端緒を開いた1頭であり、90年代以降に北米ダートの魔界へと脚を踏み入れた最初の存在なのだった。

また厩舎サイドからすれば、クロフネの渡航には、来るべきビッグチャレンジに備えて海外のノウハウを蓄積するという目的が少なからずあったろう。*タイキブリザードのBCクラシック(96年97年)は惨敗したが、その経験は98年の*タイキシャトル(ジャックルマロワ賞)で花開き、その後のゼンノロブロイやダンスインザムードらが続いた。そして*カジノドライブのピーターパンS勝利がある。ただ単に、高くて血統のよい馬を仕入れてアメリカに乗り込んだ、ということではない。*クロフネミステリーという種を撒いてから13年目の結実なのである。

*クロフネミステリーの一族は大樹ファーム全盛時の象徴的な存在で、兄弟には東京ダート1400のレコードを持っていた*タイキパイソンや現役馬の*タイキエニグマらがいる。母としても「タイキ」の馬を送り出し、コンスタントに出走しているものの重賞級は出ていない。Icecapedeと*フリーズザシークレットという相似の近交を2×2で持っていて、繁殖として面白そうなのだが・・

では問題です。藤澤厩舎が日本ダービーに出走させた最初の馬は何だったでしょうか?
何の資料も見ずに正答を挙げたあなたって一体・・・・

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コメント

開業2年目のロンドンボーイだと思います。ホクトボーイ産駒で高野稔氏の所有馬。青葉賞で権利を取ってダービーへ出ましたが惨敗。以後、腰を悪くして復帰することなく引退したと思います。

間違ってたらゴメンなさい。

投稿: とおりすがり | 2008年6月12日 (木) 10時45分

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