青森のチェリー
わが国のサラブレッド生産黎明期から戦前戦中期において、下総御料牧場を中心とした千葉と並び馬産の中核を為していたのは、小岩井農場を擁する北東北であった。ダイタクヘリオス(@山内牧場)が供用されている青森県もその一角としてかつては盛んに競走馬生産が行われていた地域で、数多くの優駿を世に送り出してきた。
主だったところだけでも、初のダービー父子勝利のマツミドリ(1944)、2冠馬トサミドリ(1946)、持ち込馬でダービーを勝ったヒカルメイジ(1954)。オンワードゼア(1954)やオンスロート(1957)は天皇賞や有馬記念を制したし、カブトシロー(1962)やグリーングラス(1973)なども青森県から出た名馬である。
そんな青森県も、戦後の小岩井農場解体を端として次第に馬産の中心が北海道へと移るに連る中、生産地としての存在感が小さくなっていく。1978年にカネミノブが、翌79年にグリーングラスが有馬記念を連覇したのを最後に、G1馬の生産地に青森県のクレジットが記されることはなかった。
この沈黙が破られたのは、世紀を跨いだ2001年。名門・諏訪牧場生産馬のタムロチェリーがペリエ騎手を鞍上に阪神JFを差し切って、22年振りの歓喜を青森県にもたらした。
タムロチェリーは阪神JFの後、桜花賞やオークスなどにも出走したが、目立つ成績は残せなかった。引退後は諏訪牧場で繁殖入りし、今月京都で勝ち上がったタムロチェストなど3頭の母となったが、残念なことに昨年病気のため早逝している。
タムロチェリーは母系に目を向けると、3代母にGailyの名が見える。Gaily(1971・父Sir Gaylord)はアイルランド1000ギニーを勝った牝馬で、そこから*ピルサドスキーと*ファインモーションの兄妹や、Youmzain(オイロパ賞)やCreachadoir(ロッキンジS)といった現在進行形の活躍馬も出ている、非常に勢いのある牝系だ。そして今週の宝塚記念に有力馬の一翼として出走する*ロックドゥカンブもまた、3代母にGailyを持つ同族の出になる。
だからというワケではないが、「私の夢(by杉本アナ)」はカンブ。昨秋のパフォーマンスには非常に高い評価をしていて、スムーズな競馬が出来ればこのメンバーでも上位だと踏んでいる。ここで一気に世代交代を果たしてGailyの牝系にさらなる輝きをもたらせば、山内牧場にいるタムロチェリーの妹キタノヤマンバ(父が*ピルサドスキーなのでGailyの3×4クロスを持つ)が産む仔たちも期待が大きくなるというものだろう。
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