たまには書評なども
まずは「容疑者Xの献身」から。人気作家の話題作でありながら今まで手にしなかったのは、直木賞受賞作といったバイアスが自分の中で薄まってから向き合いたかったため。文庫版発売を機に読んでみた。
東野圭吾に、純粋な論理パズルとしてのいわゆる「本格推理」を、高いレベルで作り上げるだけの力量があるのは誰もが疑わないところである。しかし、詰め放題のキュウリを押し込みすぎてこれ以上入らないビニール袋の如き閉塞感がある本格推理に、さらなる1本を詰めようとしないところに彼の矜持がある。ミステリの枠組みやコードをズラしたり、あるいは裏返したりという試みは、ともすれば単なる小手先の誤魔化しとして作品のレベルを下げるだけだが、東野圭吾はそれをもって作品を斜め上に押上げる稀有な書き手である。
この「容疑者Xの献身」にしても、推理小説として真正面から書いたとすれば全く趣の異なる作品となったと思う。読者に対する謎の提示やトリックの実現性など、確かに細を穿つようなツッコミができないわけではないのだが、この小説を論理パズルのタームで語ってもあまり意味はないだろう。シンプルでありながら十分に盲点を突く仕掛けをベースに置きながら、友情や純愛といった平凡な、しかし普遍的ゆえに扱いが難しいテーマを描いたこの完成度は高い。個人的には、石神の靖子に対する想いよりも、静謐に描かれた石神と湯川とのお互いにしか解らない同志感情が琴線にふれるところではあった。白夜行の衝撃は超えないが、十分に堪能できた1冊である。
それに東野圭吾の文章は、いろいろな意味で無駄がなく読んでいて疲れない。5の容量を伝えるのに10費やす文章は駄文、5を5で纏めれば普通であるがこれすら難しい。5を3で語るような東野のテクストはエレガントな数式だ。
もう一冊の「平等ゲーム」は、たまたま書店の店頭で目に入って興味を持った。
職業は抽選で4年毎に決定し意思決定は多数決、富の分配も平等で貧富の差も競争もない。そんな「ユートピア」を標榜する瀬戸内海の島が舞台である。島生まれ島育ちの主人公・耕太郎が無垢な「ユートピア」の象徴として置かれ、それに対比するカタチで社会の不合理だったり人間のエゴだったりが描かれていく。
着想としてはとても面白いと思った。社会のあり方(もっと大きく言ってしまえば国家体制)や、集団における個人の役割と心理、人として生きていくことの意味・・耕太郎の困惑と成長には、重く重要なテーマがのしかかる。しかしその材料の多さと大きさゆえに、上質で味の濃い食材ばかりで作った料理のように、一皿の小説としては逆に印象が拡散してしまった感じがある。
また耕太郎が直面する理想と現実のジレンマだったりそこから彼が得ていく感情は、途中で「こうなんだろうな」という予測がついてしまったりもした。まあこれは作者のせいばかりではなく、ついストーリーを先読みする自分の悪い癖のせいでもあるが。
桂は映画化さもされた「県庁の星」の著者でもある。描くべきモチーフを集めるセンスはなかなか良いので、後は作品化にあたって何かを「そぎ落とす」ことができればよいのかも、と思う。
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