スピードと脆さが好きだった
前エントリに名勝負か波乱かと記した秋の天皇賞、今年はまごうことなき前者となった。息がつまり、ちょっと声が出ないゴール前というのも久々の気がする。
凱歌はウオッカに上がったが、ダスカの「リアリスティックな強さ」vsウオッカの「強さのファンタジー」という観点でいえば、今回は”どこまで強いんだ”というウオッカ幻想の種明かしをしたという点で、ダスカにも得るものは大きかったレースだと自分は感じた。
さて、とぅなんてさんよりコメントを頂いたので、トゥナンテについてちょっと思い出した。
トゥナンテは1995年生まれのサクラユタカオー産駒で、栗東の松元省一厩舎に所属していた。500kg以上ある栗毛の美しい馬だった。
デビューが遅れて初勝利は3歳10月の福島ダート戦。その後、幸騎手とコンビを組んだトゥナンテは素質を開花させ、同年の暮れから500万→900万→準OPと3連勝した。その後はしばらくオープン特別やG3で善戦を繰り返す時期が続いたが、4歳6月に愛知杯(G3)を勝つと、北九州記念(G3)→毎日王冠(G2)と重賞を3連勝し、一気に芝中距離の一線級へと名乗りを挙げたのだった。
そして向かったのが、生涯最初で最後となるG1・第122回天皇賞(秋)。この年(2000年)はテイエムオペラオーが驀進を続けていたときで、当然ここも1番人気に推されていたわけだが、自分は2000のスピード勝負になればトゥナンテにも勝機はある、と判断して単勝勝負をした。
幸騎手は好位追走からインを突くという思い描いたとおりの騎乗をしてくれたが、結果から言うとオペラオーとメイショウドトウに離されての3着。重馬場もプラスではなかったにせよ、ちょっと力は足りなかったのだろう。オペラオーはこの後にJCと有馬をも制し、8戦8勝で20世紀最後の年を駆け抜けた。
エアジハードを始めとして私はユタカオー産駒の芝馬が好きだったが、特に母父ノーザンテーストという血統の馬がツボだったようだ。バクシンオーは別格として、トゥナンテやサクラキャンドル、システィーナ、トゥナンテの全兄ダイナマイトダディ、エアチャリオット(笑)などなど、このニックの代表格を挙げてみると殆どの馬を応援していたことに気付く。
芝マイル向きのスピードがあって、成長力も兼ね備え、しかしここぞというときに脆かったりもして結構馬券でもやられたが、どこか憎めなかった。
トゥナンテはレックスで種牡馬となったが、G1の勲章もなく、ここ数年は片手で数えられるほどの種付けしかしていない。エアジハードともども、もうちょっと評価されてもよいのにとは思う。
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コメント
りろんちさん、思いがけずトゥナンテのことまで取り上げていただき、驚き、またとても喜んでいます。本当にありがとうございます。
私が初めてトゥナンテに出会ったのは、タイキシャトルを見に出かけた1998年のマイルCSの日の京都6Rでした。
新聞の「父サクラユタカオー」にラインを引き、どんな馬なのかなと待っていると、パドックに姿を現わしたのは期待通りの「栗毛・ハナジロ・デカい」のユタカオー3点セットを兼ね備えた馬で、しかもお散歩モードでのんびり歩いていて、私は一目で気に入ってしまいました。
担当しておられた方曰く、私は「最も古株のファンの1人」だそうです(笑)。
あの天皇賞が好天の良馬場だったら、もっと際どい勝負になっていただろうと、後になってお聞きしました。
あのような渋った馬場では、1800mが限度だったらしいです。
恨めしくなるほど、オペラオーは雨男でしたね。
りろんちさんは、馬産地めぐりはされているのですか?
ぜひまた、トゥナンテにも会いに行ってみて下さい。
人懐こい馬ですので、しつこく牧柵に張り付いていれば、一度は挨拶しに近付いてきてくれますよ(笑)。
投稿: とぅなんて | 2008年11月 3日 (月) 22時44分
とぅなんてさん、どうもです。
私は書斎派というかインドア派というか、馬産地めぐりはかつて1度したきりに
なっています。一口もやっているのでツアーや愛馬の見学などにも参加したい
んですが、誘ってくれる仲間がいないと腰が上がりません。
もし日高に行く機会があれば、トゥナンテにも会ってきたいと思います。
投稿: りろんち | 2008年11月 6日 (木) 21時22分