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清濁併せ飲む

どうにもアンテナの低いナマクラなマニアゆえこうしたネタは周回遅れで目に触れることが多い。横から口を出すようでちょっと失礼しますだが、一口にも参加している20年来の競馬ファンとして、自分の立ち位置を確認するためにもコメントしておこうと思う。

誤解を恐れずに言えば、自分は「競走馬は人間のために存在する経済動物に過ぎない」というのが出発点だ。
生産にしても競走にしても結局のところは競馬という”しくみ”を作り出した人間側の都合に合わせた営為であるし、国や地域による差異は様々あるとはいえ、引退後に命を断たれるといった現実もまた人間の都合でしかない(さらに言えば「余生を送らせる」という視点すら人間の都合だろう)。

競馬という”しくみ”はそもそも華やかな顔ばかりではなく、おのずからこうした残酷な側面も含有しているものなのだ。だからこそ、どのなようカタチであれ競馬にコミットするということは明暗/清濁/陽陰を併せて引き受けることであり、またそれが競馬を好きでいるということなんだ、というのが私のスタンスではある。

だから、それに無自覚なままの「引退したら殺しちゃうなんて酷い」的な感情論にはどうも居心地の悪さ、違和感を感じるのである。

それでだ。私のような一口出資の人間が、ダークサイドも引き受けた上で、余生に対して義務があるのかといえば、自分は否定的な立場だ。実も蓋もない言い方をすれば「競走馬(あるいは繁殖)の価値」に出資しているのであり、率直なところ引退後の馬生に何らかの義務を負うという概念を持ったことはない。

もちろん自分だって特定の馬に前のめりな愛着を持つことはあるわけで、出資馬が故障で予後不良になったときには天を仰いだまま動けなかった。彼や彼女らが繁殖であったり功労馬的な位置を得られれば越したことはないし、そういう何らかの引退後処遇システムが確立するのを否定するものじゃない。でも、外野から道義的な責任を言われるのは違うよね、とは思う。

*ついでに「供養」というのは、逝ってしまった者のためではなく、残された者が自分のためにするのだと思っているけど。蛇足。

この問題を巡る論議の中では、Southendさんが以前のエントリで記されていた”究極的に動物愛護問題における<文化的価値>と<生命的価値>というのは乖離した概念ではないか”というあたりに自分は共鳴する。

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