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感傷を抱くこと、矢を放つこと

優雅で感傷的な日本競馬-傍観罪で終身刑

オマエはいつも後出しじゃねーか、という謗りは(その通りなので)甘んじて受けるとして、やはり「競馬とそれを語るコトバ」というのは自分がどうしても避けて通れないところなので。

そもそも競馬ファンが競馬にコミットすることにより”何か”が内面に芽生えたとして、それが「情緒的」あるいは「感傷的」であることは、ある意味自明であると自分は思う。なぜなら競馬という仕組み自体がさまざまな人間の価値観の集合体であり、換言すれば感情/情緒/感傷/非合理といった要素によって成り立っているものに他ならないからである。

したがって、たとえ論理と理知を纏った見識であっても、その根底には”競馬こうあるべし”という各自の主観・価値観が横たわっている以上は「感傷的で情緒的」という場所からは決して離れてはいない。ブルコン問題に関連してダート路線の位置づけを冷静に検証していても、そういう意味では「情緒的」なのだと思う。

そしてもう一つ大事なことは、<情緒的である>ことと<情緒的であることを表現する>ということは、全く別モノであるということだろう。

いみじくもSouthendさんが

 言葉は自分の内面から放たれた時点で自分だけのものではなくなること

と書いている。表現する際にこれを意識しているのとしていないのとでは雲泥の差が存在する。まあこれ以上突っ込むとネットメディア論にも片足を突っ込む面倒があるので手綱を引いておくが、要は個人的で優雅な感傷も、ヘタをすれば社会的で鋭利な刃物にもなりうるということを忘れてはいけない。自省も込めて。

自分は案外と情緒的な人間だし、競馬に関してもひどくセンチメンタルなコミットの仕方をしていると自覚している。ただだからこそブログを書くようなときにはソリッドな(そこから少しだけ味が滲み出るような)文章にすることを意識しているし、そうやってバランスを取っている側面もあるのだろう。

とまあそんなわけで、面識はないけれどSouthendさんの文章には非常に共振や共鳴みたいなモノを感じるところ。

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