紅の鳳仙花
道端に咲くその花の実は、子供の頃の格好のおもちゃだった。十分に熟して膨らんだ丸い実をつまんで指先に力を入れると、パチッと乾いた音を立てて中に詰まった種子が飛び出す。ホウセンカ、別名”Touch-me-not"とはよく言ったものだ。
7月になればJRAは既に上半期を締めくくる宝塚記念も終わり、すっかり夏競馬の季節であるが、ヨーロッパはまさに競馬シーズンの只中にある。
1999年7月、サンクルー競馬場。
前年のジャパンカップを3歳にして完勝した*エルコンドルパサー陣営は、その矛先を欧州競馬の頂点たる凱旋門賞に向けていた。フランスに渡り緒戦となった5月のイスパーン賞を2着、秋の本番へ向けて次に駒を進めたのがG1・サンクルー大章典だった。
この年のサンクルー大章典はメンバーが揃っていた。98年愛仏ダービー馬の*ドリームウェル、同じく98年の凱旋門ウイナーであるSagamix、バーデン大賞を勝っているドイツの*タイガーヒル、牝馬ながら97年独ダービー馬であるBorgia・・
ここを勝つようなら、日本調教馬による凱旋門賞制覇、という壮大な夢がまさに現実味を帯びてくる。そんなレースになったのである。
当時このレースを私はリアルタイムでは観ていない。映像の中継があったかどうかも定かでない。
私は短波ラジオを病床の父の耳元で聞かせた。身体を病み余命幾許もなかった父は病院で死を迎えることを拒み、自宅で療養を続けていた。競馬が大好きで自分に競馬のイロハから教え、海外競馬や血統にはさほど興味はなかったけれど、そんな父にエルコンの強さを聞かせたかった。
雑音混じりの実況が*エルコンドルパサーの勝利を伝えていた。「勝ったよ!」と興奮する私を見て、父はニヤリと笑い眠りに落ちた。
それから数日後、父は他界した。
エルコンはその年の凱旋門賞で「勝ちに等しい」と賞賛されながらもMontjeuの2着。以降11年、未だ日本調教馬の勝利は実現していない。
あの7月の暑さを、不思議と覚えていない。ただ、ベランダに咲いていたホウセンカの燃えるような紅さが、思い出されるばかりである。
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