Beheraから21年
ここ数年は牝馬の活躍が目立っていただけに、Behkabadがパリ大賞典を制した喜びはアガ・カーン殿下にとって格別であったかもしれない。愛ダービー3着馬Jan Vermeerらを破っての完勝で、これは凱旋門賞を睨む日本馬にとっても大きな壁となってくる。
Behkabadは、そもそもはフランスの鬼才ブリーダー、マルセル・ブサックが育てた牝系に遡上するボトムラインだ。4代母のAstanaはコンセイユ・ド・パリ賞を勝っていて、ブサック味のTourbillon2×3なんていう近交馬。かの繊維王がが破綻しそのサラブレッド資源を売却した際に、アガ・カーン4世の手に渡った1頭である。
この牝系で有名なのは、Behkabadの祖母にあたるBeheraだろう。サンタラリ賞(G1)やペネローペ賞(G3)を勝利しした3歳牝馬Beheraは1989年の凱旋門賞に出走。最後の直線で抜け出したSt Andrewsを交わしにかかったところで、外から追い込んできた*キャロルハウスに進路をカットされて内に押し込まれた。不利を受けた位置から立て直して猛追するも、ゴール前で2着に上がるのが精一杯だったのである。
アガ・カーン殿下が事実上の凱旋門賞スポンサーだったことが、このレースの審議においてどのような影響を及ぼしたのかはわからない。いずれにせよBeharaの単勝を買っていたという血統ライターの田端到が「絶対に降着すべきだった」と恨み節を残すレースは、入線順位のとおり決着した。
ちなみに*キャロルハウスはその後社台ファームに購入されてJCに出走、あのホーリックスとオグリキャップが叩き合った伝説のレースで14着に終わる。引退後は種牡馬となるも、大きな成果を残せずにアイルランドへ再輸出された。
まあアガ・カーン殿下はその後もSinndar(00年)、Dalakhani(03年)、Zarkava(08年)と凱旋門を獲っているから、すでにリベンジという意味合いはないのかもしれない。とまれあの疑惑の2着から21年余を経て、Behkabadが祖母の無念を晴らせるかどうかも、秋のロンシャンで注目すべきストーリーではある。
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