追悼オグリキャップ
正直に言ってしまうと、あの混沌と高揚と不安とが入り混じった80年代の終わりから90年代初頭の空気を抜きに、「オグリキャップを語る」ことは非常に困難な作業だ。自分には残念ながらその文才もないのだが、しかしあの熱の中に身をおいた一人の競馬ファンとして、何かを書いておきたいという想いをやはり捨て置けない。
地方競馬出身の雑草がJRAのエリートを向こうにまわして・・
ビギナーながらそんな”いかにも”なレトリックに懐疑的で、当初は聊か醒めた目線で接していた自分だったが、いつの間にかその存在に魅了されていたことを思い出す。勝っても負けてもその懸命な走りでファンの心を震わせ、お仕着せのフレームワークを飛び出していったオグリキャップ。いくら語られようと年月が経ようとオグリが紡いだ年月が「よくある名馬物語」に着地しないのは、単純ではあるがそのひたむきさゆえであるのだろう。
ではその”消費されない”物語性の強さの背景には何が在ったのか。
一つは対立軸の多義性だった。
3歳時のタマモクロスとの世代抗争、古馬になってからはスーパークリーク・イナリワンと3強対決。他にも個性的なライヴァルが揃っていた。競走馬同士の構図だけではない。キャリア前半は敵として、大円団では盟友として走った武豊との邂逅。馬主の脱税と所有権移転というトラブル。成熟しきっていなかった競走体系と過酷なローテーションにも立ち向かったし、クラシックに追加登録できないという悲劇は制度との戦いでもあった・・
競馬が様々な点で合理化され最適化されつつある現在では成立しえないヴァーサスの構図。レースでの勝負論だけではない無数の”VS”がオグリの競走生活には常に付いて廻ったわけで、それは換言すれば、オグリのレースに対峙する度、観る者は何らかの価値観や視座を問われるということでもあった。我々にしみこんだその自問自答の濃度こそが、冷めない熱となって今もオグリキャップを語らせている。
またオグリキャップを勇気や希望の象徴として、あるいは時代の代弁者として捉える向きを否定するつもりはないが、自分はオグリをシニフィアンとして捉えたとき、シニフィエは人間のエゴ/欲/業であった、と表現したい。
馬主の欲、厩舎の欲、ファンの欲、JRAの欲、メディアの欲。金銭欲、名誉欲、優越欲・・
人間誰しもが持ち、しかしどこか抑圧されているダークサイド。それらをオグリキャップは走ることで体現し、開放し続けたからこそ、あれだけのカタルシスを観る者に与えたのだろうと思うのである。
いや、何を的外れなことを言っているんだと批判されてもいい。10人いれば10通りの、100人いれば100通りのオグリキャップが像を結ぶ。オグリキャップの偉大さは、かくも多様な視点を許容する点にもあるのだ。
拙文にて御免。
| 固定リンク
「馬*その他」カテゴリの記事
- 歴史を伝えるもの(2022.09.04)
- 108年後の帰還(2021.09.18)
- Superb in Rosesの謎(2019.02.23)
- 星明かりは見えずとも(2)(2019.01.04)
- 星明かりは見えずとも(1)(2019.01.03)
コメント