果ての春雷 ~早田牧場85年略史④
<1978年・新冠>
カナダでの武者修行を終えて福島に戻った早田光一郎は1978年、北海道の新冠に土地を求めて牧場を開設する。当初は孝行娘*モミジにちなんでモミジファームと名付けられたそれが、後の早田牧場新冠支場というわけだ。
彼が目指したのは堅実な家族経営の牧場でも、系統繁殖を志向するオーナーブリーダーでもない。質量ともに、あるいは名実ともに認められる”日本一の生産牧場になる”という野心の炎が宿っていた。
「10年以内にダービーを獲る」
そう自らを鼓舞し、目標に向かって疾走し始めたのである。
その象徴が名馬*ヴァイスリーガル。
Northen Dancerの初年度産駒である同馬は、2歳時に8戦8勝でカナダの年度代表馬に選ばれ、種牡馬としても75年~77年に同国のリーディングサイアーに君臨していた。この*ヴァイスリーガルを鳴り物入りで招き入れたのを皮切りに、早田牧場は種牡馬事業にも臆せず関わっていく。80年代から早田が導入に関わったと推察される種牡馬を列挙しよう。本邦での初共用の年次と、括弧内には代表的な勝ち鞍を付記する。
80年 *サティンゴ(仏グランクリテリウム)
*ダンサーズイメージ(KYダービー1着失格/ウッドメモリアルS)
82年 *ハバット(ミドルパークS)
83年 *ホットスパーク(フライングチルダーズS)
*マナード(仏グランクリテリウム)
87年 *ミルフォード(プリンスオブウェールズS)
*イルドブルボン(”キングジョージ”)
88年 *カーホワイト(イスパーン賞)
89年 *リヴリア(ハリウッド招待)
90年 *ブライアンズタイム(フロリダダービー)
91年 *ペイザバトラー(JC)
錚々たる面子と言ってよいがしかし、これら種牡馬たちの多くは寄せられた期待に応えたとは言い難かろう。*ヴァイスリーガルはゴールドシチーを輩出した程度に終わり、大種牡馬の道を歩んだのは皮肉にも競走成績では劣った全弟のVice Regentである。
また*ダンサーズイメージや*イルドブルボンは自身も大物で種牡馬としても彼地で実績を残していたが、本邦の競馬ではそれに相応しい果実を実らせることがなかった。*リヴリアはクラシックホースを出したものの早逝の憂き目に遭い、JC馬*ペイザバトラーはたった1世代しか残せていない。
*ブライアンズタイムは現在でも活躍馬を送り出す大種牡馬だが、本来は北米最優秀ターフホースに輝いた*サンシャインフォーエバーが意中であった。交渉が不調に終わり、血統構成が酷似していたため購入されたその「代用品」が、後に早田躍進の象徴的な存在となり、またその運命を大きく揺さぶることになるのだから、皮肉なものである。
一方、牧場生産馬の成績も早田の目論見どおりには上向かない日々が続く。
雌伏の時代にあった牧場の経営に余裕などあるはずもない中、そこは後に自身を「ぼくは借金と錬金術の天才です」と冗談交じりに評する男の真骨頂で徐々に繁殖を増やしていた。しかしダービーどころか重賞を勝つ馬すら出ず、それは86年のロイヤルシルキー(クイーンS)まで待たねばならなかった。
硬直的だった種牡馬株の流通システムにも風穴を開けた異端児に、馬産地では冷たい視線も少なくなかった。アレがビッグマウスの早田か、何が日本一だ・・口さがない向きは嘲笑の声を上げたに違いない。
それでも光一郎は種を撒き続ける。キーンランド・ノベンバーやニューマーケット・ディセンバーなど主要なセールには欠かさず足を運んでは有望な繁殖を探した。同郷の阿部善男オーナーの支援に加えてバブル景気にも乗り、78年に生産頭数5頭でスタートした新生早田牧場は90年初頭、50頭余の幼駒を産み出す規模に達している。
萌芽の予感。
そして新冠に支場を開いて13年。*ダンサーズイメージを母の父に持つレオダーバンが91年クラシックに駒を進め、菊花賞を鮮やかな末脚で勝つに至って、早田牧場はようやくG1ホースの生産牧場という名誉を浴することになるだった。
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コメント
はじめまして。
三十郎といいます。
ナリタブライアンの三冠目を京都競馬場で、
生で目にしたものです。
あのなんともいえぬ迫力というか、凄みというか‥、
今でも忘れられません。
ナリタブライアンともども早田牧場にも、
ずっと頑張って欲しかったのですが‥、なんとも。
大河ドラマの江のような、
ビワハイジの活躍が救いでしょうか。
早田牧場85年略史
楽しみにしてますので、頑張ってください。
では。
投稿: 三十郎 | 2011年1月28日 (金) 19時18分