Blog上の演出です
テレビCMにときおり見られる「これはCM上の演出です」という表示にそこはかとない違和感を感じていたクチだが、ちょっとgoogle師匠に聞いてみたら同じような感想を持つ方は結構いるらしい。
最近では、NTT系のCMで子供が柑橘系の果物をカジッているシーン、車のCMで子供たちが木の枝に並んで座っているシーンにこの注釈が入るのが目に付く。自分の感覚だとそれの何が悪いのかわからない。皮ごと齧ったって死にやしないし、危なっかしいことをして怪我したり怒られたりして育つもんじゃないのか、と。
まあ現実問題として、危険なシーンに「子供が真似したらどうするんだ」とかCGなんかの合成に「実物がCMと違うぞ」といった幼すぎるクレームはあるんだろう。それに対する企業側の防御線であるのはわかるけれど、そういう意味ではいつか書いた、過剰な電車内放送にも通じるところがある。結局のところ、成熟しているようで結構幼稚な社会なんだよなあと。
演出という表現で極論を言えば、人がバサバサと殺されていく水戸黄門の殺陣のシーンで「これは演出です。人斬りは現在法律により罰せられます」だとか、メダルで変身する仮面ライダーオーズも「これは子供に夢を与えるための演出です」なんて文字を出さなきゃいけないじゃねーのなどと。
ちょっと話は変わるけれど、気になるといえば「お客様は神様」というタームも誤用されることが多い。もともと三波春夫の言葉として有名だが、本来は彼のHPにあるように
「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです」
という意図であった。小売店や企業に対して顧客が「お客様は神様だから言う事を聞くのが当然だろう」という文脈で用いるのはそもそもおかしい。横柄な店主の店は嫌いだが、横柄な客はもっと嫌いだ。
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