果ての春雷 ~早田牧場85年略史⑦
<2002年・札幌>
歯車が逆回転を始めた早田牧場の転落は止まらなかった。
詳細な内部状況をここで知る由もないが、もともと負債による大規模投資を繰り返してきた牧場の財務が、90年代後半に訪れた潮目の変化に対応できず一気に悪化したのは間違いだろう。早田牧場には光一郎が経理の責任者として全幅の信頼を置く触沢剛文がいたが、牧場の運営に逼迫した光一郎が触沢と共に種牡馬管理団体の資金を流用していたことも、後年明らかになっている。
ついに早田牧場の自己破産申し立てが報じられたのは、2002年11月のことであった。当時の記事を抜粋する。
2002年(平成14年)11月22日
農事組合法人資生園早田牧場(競走馬生産・育成・調教。出資金1億円、福島県伊達郡桑折町北半田御免町35)は、関連会社の(有)早田牧場、(株)セントラル・ブラッドストック・サービスとともに、札幌地裁へ自己破産の申立て。
負債は、資生園早田牧場が債権者約147名に対し約50億5200万円、(有)早田牧場が債権者約19名に対し約2億6100万円、(株)セントラル・ブラッドストック・サービスが債権者約50名に対し約4億9900万円で、3社合計では約58億1200万円 2002年(平成14年)11月25日、破産宣告。
早田牧場の繁殖牝馬たちと、CBスタッドに繋養されていた種牡馬は散り散りとなった。牧場開設から85年、支場開場から24年、栄華を誇った90年前半からわずか10年足らず。国際化前夜の時代に挑み、バブル景気の時代に乗り、名馬の時代に祝福された早田牧場は、20世紀の終わりと共に墜ちていったのである。
<2005年・福島>
6月。種牡馬*ブライアンズタイムを所有していた団体の資金を牧場経営に流用したとして、業務上横領で起訴されていた早田光一郎に下された判決は、懲役5年の実刑だった。札幌地裁で行われた公判中、弁護側は「社台ファームを追い越せとの思いから、過度の設備投資をして資金に窮した」と陳述した。
90年代競馬ブームを彩った早田牧場は、全力で駆け抜け、そして儚く散った。
光一郎が罪を犯した事実は消えるべくもないし、また彼をブリーダーとしてどう評価するかは視座により論の分かれるところであろう。しかし大きな野心を抱いた彼のバイタリティが、多くの人々の熱と欲を巻き込みながら早田牧場の名の下に、競馬史に名を残すあまたの名馬を生み出した事実だけは、確かである。
そしてその遺産は今も、ブエナビスタを始めとして豊穣な収穫を私たちに与えている。
そして再び、福島県桑折町。
地裁判決の3ヶ月前、まだまだ肌寒い2005年3月20日。
半田山麓に広がる早田牧場跡地の「早田の馬場公園」では、花信風の中で植樹祭が行われていた。街の活性化を目指すNPO法人が中心となり、この地域で桜の植樹事業が開始されたのだ。初年度に植えられた219本は春と初冬に花を咲かせる品種で、今後15年にわたり500種3万本が植樹される計画だという。
そこに遙けき88年前にも入れられたであろう開墾の鍬は今、来賓の形式的なそれに変わっていた。しかし変わらないのは、そこに未来への苗が植えられ始めたたということだ。
長い旅路の果ての春雷。季節は移ろいゆく。何度も巡る。
儚く散る桜を仰ぎ見るたびに思い出そう、早田牧場が放った眩い輝きを。
| 固定リンク
「馬*その他」カテゴリの記事
- 歴史を伝えるもの(2022.09.04)
- 108年後の帰還(2021.09.18)
- Superb in Rosesの謎(2019.02.23)
- 星明かりは見えずとも(2)(2019.01.04)
- 星明かりは見えずとも(1)(2019.01.03)
コメント
はじめまして。
早田光一郎で検索ヒットして読まさせていただきました。
早田光一郎さんは
ブエナビスタをどんな気持ちで見ているんでしょうか?
投稿: チャーリー | 2011年6月28日 (火) 21時00分