« 雪を眺めて想いを馳せる | トップページ | 果ての春雷 ~早田牧場85年略史⑥ »

果ての春雷 ~早田牧場85年略史⑤

<1994年・東京>

レオダーバンの勝利以降、まるで憑き物が落ちたかのように早田牧場の馬は走り始めた。93年にはビワハヤヒデがダービーを惜敗したものの、秋には菊花賞を圧勝。そして同年の2歳牡馬チャンピオンとなったハヤヒデの弟ナリタブライアンは、94年の皐月賞を圧勝すると、圧倒的な1番人気を背負ってダービーに出走する。

1994年5月29日。府中の長い直線、その大外、ナリタブライアン・・
駆け抜けた黒鹿毛の馬は別次元の強さを誇示して日本ダービー馬となった。

ナリタブライアンの父*ブライアンズタイムだけでなく、兄弟の母*パシフィカスもまた、カナダで学びNorthen Dancerの血に執心した彼自身が、イギリスで見出してきた。憑き物云々と表現したら光一郎は心外だったろう、この瞬間まで費やした16年の日々刻々の賜物なのだ、と。

大歓声が渦巻く東京競馬場でも泣かなかった光一郎は、しかし苦しい時代を支えてくれた人々との祝勝会では涙を見せた。それは飄々とした”錬金術師”の、隠された労苦の道のりを物語っていた。

ビワハヤヒデは古馬になってから天皇賞(春)や宝塚記念を勝ち、ブライアンはクラシックを総舐めの後に有馬も制する。JCを勝ったマーベラスクラウンは我が国に於ける最初のミスプロ父系G1ホースだった。

生産者ランク(中央・地方合計)を90年に30位、91年に13位、92年に14位と上げた早田牧場は、絶頂期を迎えていた。93年に3位へと躍進、そしてブライアンが3冠を獲り、ビワハヤヒデやマーベラスクラウンも暴れた94年には20億6700万以上の賞金を獲得して生産者ランクで2位となる。まさに”破竹”という形容が似合う勢い。

ほんの8年前までは重賞馬すら出せずにもがいていた姿は、そこにはなかった。

すでに200頭以上と早田牧場の約5倍の生産規模を誇り、57億円余を獲得して独走するガリバー・社台ファームとはまだまだ大きな差があった。しかし王国を創り上げた吉田善哉が93年に逝去して過渡期に在った社台の牙城に、「風雲児」早田光一郎なら迫れるのではないか・・そんな雰囲気が漂い始めていたのである。

この他にも阪神JFでエアグルーヴを破り2歳女王の座に就いたビワハイジ、有馬記念をアップセットしたシルクジャスティスなど次々にG1ホースが早田牧場から巣立っていった。

宝塚記念を勝ったマーベラスサンデーの喜びはひとしおだったに違いない。同馬の母モミジダンサーは、光一郎にチャンスを与えたかの*モミジと*ヴァイスリーガルとの間に生まれた牝馬だったからだ。ただし父*サンデーサイレンスに対しては当初、低い評価しか与えていなかったそうだが。

ところで早田牧場が90年代に生産した活躍馬たちは、*ブライアンズタイム産駒(NブライアンやSジャスティスの他、エムアイブランやシルクプリマドンナ等)および、外国産馬/持ち込み馬(ハヤヒデ、ハイジの他、*エルジェネシスや*ワイルドブラスター、*タヤスブルーム等)が多数を占めており、それ以外となるとパルブライト、シルクグレイッシュ、マーベラスサンデーなど数頭が挙がるのみ。

オーナーブリーダーやそれに類する牧場の生産サイクルの過程で必ずしも珍しくはない様態だが、その単層的な構造が、後の滑落を加速させる一要因として作用したのも確かであろう。

|

« 雪を眺めて想いを馳せる | トップページ | 果ての春雷 ~早田牧場85年略史⑥ »

馬*その他」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/223066/50854131

この記事へのトラックバック一覧です: 果ての春雷 ~早田牧場85年略史⑤:

« 雪を眺めて想いを馳せる | トップページ | 果ての春雷 ~早田牧場85年略史⑥ »