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春雷のおまけ

早田牧場が導入に関わった種牡馬群を本編で列挙したが、その中でも*ダンサーズイメージはいろいろと逸話がついて回る種牡馬だ。

現役時代は68年のケンタッキーダービーで1位入線を果たしながら、禁止薬物が検出されて失格となった。さらにプリークネスSでも3着から8着に降着の憂き目に遭うという波乱の競走生活である。

引退してからは流浪の旅となった。

種牡馬入りしてから最初の5年間(1969年から1973年)は、生まれ故郷のメリーランド州Glade Valley Farmに繋養された。

その後アイルランドに渡った*ダンサーズイメージは3シーズンをKilleen Castle Studで過ごし、さらにフランスに移ってドーヴィルのHaras de Quesneyで3シーズンの種牡馬生活を送った。

ヨーロッパではLiangaやSaritamerといった短距離の活躍馬を出している。

フランスで供用されている際に早田氏に購入されて日本にやってくるわけだが、その際にもちょっとしたエピソードが残っている。

Jim Bolus著「Kentucky Derby stories」によれば、早田光一郎氏は当時、フランスのグランクリテリウムを勝った*サティンゴを購入したところだった。

「*サティンゴを購入した後に*ダンサーズイメージを見たんです。どちらもよい種牡馬でしたね。私は両馬共に購入すべきかどうか迷い、日本の妻に電話で相談したのです。妻はダンサーの方が気に入っていると言うので、私は購入することにしました」

他方、妻の由貴子はこう笑う。

「夫は*サティンゴの購入に気持ちが向いていたけれど、私は*ダンサーズイメージを買いたかったから、買うようにって言ったんです。本気でケンカもしましたけど、結局2頭とも買うことになった。私はダンサーが大好きだったんです」

風雲児も妻には頭が上がらなかったということだろうか。

来日時には既に15歳となっていた*ダンサーズイメージは、それでもマックスフリートやロングレザーといった重賞馬を出し、後にハクタイセイやレオダーバンの母父となった。自身と同じ芦毛の牝馬が好きだったそうだ。

92年に死亡するまで早田牧場で大事にされていた様子は、上記の著作でも紹介されている。

ちなみに*ダンサーズイメージの失格によりケンタッキーダービー繰り上がり優勝となった*フォワードパスは78年に輸入されて西山牧場に繋養されたが、わずか2年後の80年に病死している。皮肉な運命に導かれた2頭は、ケンタッキーから遙かなる北海道で、共に眠っている。

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コメント

更新楽しみにしてちょくちょく覗かせて頂いています。

春雷読ませていかてから、ワタクシの家の裏が札幌刑務所って事もあり、こんな近くに早田氏がいたかと思ったら出所後の早田氏が気になりって気になって、知人の静内の牧場関係者や栗東の調教助手に聞いて調べたら、やはりはっきりした情報は得られず。噂クラスの情報では誰かのバックで馬を仲介してるらしい。
あくまで噂クラスですが・・
先日セレクトセールでグローブエクワインって大樹のマネージャーをやってた多田信尊氏が高額落札で騒がれましたが、彼のバックには、里見氏や市川義美氏、山本英俊氏。藤沢和雄厩舎。こういうスポンサーでもつかない限り目立つ事もないでしょうが、あの当日の早田氏のバイタリティーは今の元気ない日本の馬産地には必要だと思います。サンデーサイレンス亡き今。新馬勝ちも社台グループだけでなくいろんな牧場を目にします。
表舞台には厳しいかも知れませんが、元気で競馬に携わっていてほしいです。

投稿: チャーリー | 2011年8月15日 (月) 07時48分

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