Blue Period
名馬にして名種牡馬であったA.P.Indyが、種牡馬を引退するという知らせが届いていた。そういえば先日話をしたある年下の競馬クラスタは、もともとはA.P.Indyの馬主が日本人であったことを知らなかっだが、考えて見ればもう20年も前の話になるのだから当然かもしれない。
A.P.Indyの馬主であった鶴巻知徳氏は、不動産開発などで急成長を遂げた日本オートポリスの代表だった。日本でもリンドやエーピーといった冠名で競走馬を所有しており、相馬の鬼才として名が知られる佐藤伝二氏とのコンビで、*プリンスシン(京都記念)や*リンドシェーバー(朝日杯)といった活躍馬を見出している。
この二人の最大の仕事がA.P.Indyであるのに異論はあるまい。
父にSeattle Slew、母系もMissy Babaに遡上するという血統背景を持つ彼は、90年にアメリカのセリにおいて290万ドルという高値で鶴巻氏に落札された。ニール・ドライスデール師の元でその名血と価格に恥じない素質を開花させ、ハリウッドフューチュリティ、サンタアニタダービーを完勝。ケンタッキーダービーこそ怪我によって無念の回避となったが、ベルモントSを勝ち、さらに秋にはBCクラシックを勝利して、ダート2000mのアメリカ王道路線で頂点に君臨した。
引退後は種牡馬としても大成功を収めることになる。自身が03年、06年のリーディングサイアーとなった他、産駒のPulpitやGolden Missile、Old Trieste、Malibu Moon、Mineshaftらもサイアーとして成果をあげ、一大父系を築きあげるまでになった。
日本では*シンボリインディ、*ピットファイターなどが直仔として活躍した。ややもすると一本気なSeattle Slewの父系だが、A.P.Indyは芝やマイル路線でも頑張りを見せるので、配合次第では使える印象がある。*パイロや*シニスターミニスターの産駒には注目したいところ。
さて、鶴巻氏といえばもう一つ有名な落札が「ピエレットの婚礼」。
極端に抽象化された作品で有名なピカソも実は多くの作風変化を経ている。無機顔料の青色をベースにした”青の時代”における代表作のひとつ「ピエレットの婚礼」は1989年、パリと東京を衛星回線で結ぶといういかにもバブル期らしい手法でオークションにかけられた。ここで3億1千500万フラン(約73億円)というとてつもない価格で落札したのが、鶴巻友徳氏だった。
日本各地で巡回展示され、阿蘇のオートポリスに凱旋した「ピエレットの婚礼」。しかしすでにオートポリスは経営が破綻に傾き初めており、隣接の美術館に展示されたわずか数日後に、融資元ノンバンクによって債権の担保として差し押さえられてしまい、その後は二度と公開されないまま今日に至っている。
言葉は悪いが、まさにバブルの象徴のような浮沈の軌跡を描いたオートポリス。ただしその頭文字A.Pは、競走馬の血統表の中に生き続けることだろう。
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