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そこにしか咲かない花

初見時には半信半疑だったメジロ牧場解散のニュースは、おそらくその反響の大きさに応ずるべく開かれた北野代表の記者会見によって事実であることが明かされた。現役馬や繁殖牝馬は5月20日以降、所有権が移転される見込みとのことだ。

個人的な思い出から入れば、まずはマックイーンである。

トウカイテイオーとの対決に沸いた92年の天皇賞(春)は、ある意味で思想闘争に似た趣があった。テイオー信者の自分は敗戦など一片も疑わなかったから、全財産と全ての想いを賭するにも躊躇はなかった。そして灰色のマックイーンが先頭で駆け抜けていったとき、淀の4コーナーにいた私の世界は暗転した。

かといってアンチ・メジロだったわけでもない。アルダンやモントレー、ブライトは好きな部類で、いつもG1では惜しい単勝を買い続けた思い出もあるのだ。

さて、マックイーン世代の引退を境にしてメジロが陥った不振は何処にその根があったか。雑駁に言えばミスプロ系やサンデーに代表されるスピード化にメジロの重厚な配合がついていけなかったという指摘は多いし、私もそれは否定しない。一方でそれまで得ていた育成面でのアドバンテージが、他の牧場の技術向上によって失われたという側面もあると思っていて、そういう意味では(一部で指摘される武田元場長の独立を含め)複合的な要因が作用した結果だと思っている。

このことをもって「メジロが負けた」という表現も見られるのだが、私としては負けたというよりも時代に於ける「役割を全うした」という方がしっくり来る。それはメジロ牧場が単に流行におもねるだけではなく、ある種のポリシーに基づいて名馬を産み出してきた生産者だからである。例えばマルセル・ブサックがそうであったように、その独自性を時代が求めたからこそ他には咲かない花が開いたのだし、そして花が散る時がいまやって来た、ということだろう。

無論、メジロの花びらたちが血統表の中にその名を連ね、次の時代の礎となるだけの力を宿していることは、過日の皐月賞が証明している。

また、馬主の撤退やブリーダーの廃業そのものは珍しくもない中でスポーツ紙の1面を飾るというのは、それだけファンや関係者の中で特別な存在だったということだ。メジロといえば長距離重賞、天皇賞父系3代制覇、ダービーの悲運、緑と白の勝負服・・

競馬を「記憶を紡いでいくゲーム」だとすれば、ここ数年は”らしさ”が薄れていたとはいえ、メジロという3文字に宿るそうしたイモータリティ=不朽性を何とかまとったまま幕を下ろせることが、せめてもの救いなのかもしれない。

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