Life of Man
大体にして淀の競馬観戦とセットで訪れることが多いだけに、夏の京都にはあまり行ったことがないが、数年前の今頃に知り合いの結婚式に招待されたことがあった。とにかく暑い日だった。
初体験だった仏前結婚式やその後の菊乃井の食事が印象に残る一方、寺社仏閣にさっぱり疎い自分は式が行われた寺の日本庭園を「キレイなだなあ」程度にしか捉えていなかったのだが、後に日本家屋の設計を生業にしている親類から、あれが有名な高台寺の方丈前庭であることを教わった。
ところでその設計士との雑談中で、アイルランドの有名な牧場にも回遊式の日本庭園があるよという話になった。ハテと調べてみたら、アイルランド国営牧場(Irish National Stud)にのことだった。
元は醸造業者だったホール・ウォーカー大佐が開設したTully Studは、1916年にイギリス政府に寄贈され、現在のアイルランド国営となって現在に至っている。Tully Stud時代には4歳牝馬チャンプのCherry Lassやセントレジャー馬のPrince Palatineなどが出ているが、競走馬として最も名を知られているのは、イギリス国王エドワード7世所有で1909年の英ダービーを勝ったMinoruだろう。
Minoruは2000ギニーとダービーを勝利した現役生活を終えると生まれ故郷で種牡馬となったが、1913年、英露協商で手を結ぶ関係にあったロシアへと寄贈される。しかしその4年後の17年にはご存知ロシア革命が起こり、その国乱の中でMinoruの行方は杳として知れず闇に沈んだのだった。
ただしMinoruは数少ない産駒の中から名繁殖Serenissimaを産み、Fair Copy、 Hyperion、Sickle、Pharamondらを通じて、現在にも非常に大きな影響を与えることになる。
ところそのMinoruの馬名であるが、自分はもし日本語ならば、そのころ100mの世界記録を作ったと言われる藤田実に由来するものだろうと思っていた。しかし1900年代初頭にウォーカーのTully Studに滞在し、日本庭園を築いたイイダという作庭師の息子がミノルという名だから、どうやらこれが語源であるようだ(現ナショナルスタッドもこの説を採っている)。
「Life of Man」をテーマに掲げたその庭園は現在も一般公開されている。
自分の子にあやかった名のサラブレッドが国王に所有されて英ダービーを勝ってしまったのだから、さぞやイイダさんもタマげたことだろう。さらに言えば、当時カナダのリッチモンドには同馬からMinoru Parkという競馬場が作られ、現在もスポーツ施設群として名を残している。
今年、Minoru以来となる国王(女王)のダービー制覇が期待されたCarlton Houseは惜しい結果となったが、国王所有馬が話題になるたびに「ミノル」という日本人の名が思い起こされる、それはそれで愉快ではある。
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