嵐鳥の乱舞
タイムラインを何の気なしに眺めていたら「あの馬の血統w」みたいなのが散見されたので、帰宅してからちょいと見たら、確かに笑えた。土曜の京都1Rを勝ち上がった*エーシンブラスターのことだ。
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タイムラインを何の気なしに眺めていたら「あの馬の血統w」みたいなのが散見されたので、帰宅してからちょいと見たら、確かに笑えた。土曜の京都1Rを勝ち上がった*エーシンブラスターのことだ。
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オルフェーヴルが牡馬クラシック3冠を達成した。
オルフェと池添騎手あるいはオルフェと池江ファミリーなど、この馬には多面なストーリーが存在するが、特別な思い入れがない自分はファンの方々の力作に任せるとして、幾つかの切り口で菊花賞を振り返りっておく。
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秋のG1シーズンど真ん中に突入したというのに、すっかり体調を崩すという競馬クラスタにあるまじき体たらくで、ブログの更新もご無沙汰しています。
菊花賞のレース回顧らしきものも含め、そろそろまた書いていこうかと思いますので、更新を待ってくださっているレアな方々、気長にお待ちくださいませ。
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先週ダーレーから、Lonhroが来春からアメリカにシャトルされるとの発表があった。シャトル種牡馬など目新しくもないトピックではあるが、オセアニアに育ったビッグネームとなるとこれまでは例のなかった試みだ。
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樫山氏は前述の通り年度代表馬に選出されたオンワードゼアをアメリカへ遠征(3戦して7着が最高)させるなど、国外にも早くから視線を向けていたホースマンだった。
60年代に連敗を続けた日本馬の海外遠征を踏まえて行われた座談会「国際レースに勝つには」が、雑誌『優駿』1970年1月号に掲載されている。シンボリ牧場の和田共弘氏やハクチカラの西博氏、野平祐二騎手らとともに参加者に名を連ねた樫山氏は、海外との調教環境の違いやアンチ商業主義の生産理念などを語っている。
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まだ幼い少年にとって、故郷と家族から離れた名門呉服店での丁稚奉公は辛い日々であったに違いない。泣きたい時、逃げ出したい時、彼の気持ちをやさしく慰めたものは、店の入口で音楽隊が奏でる賛美歌だった。
中でも賛美歌397番”Onward, Christian Soldiers”は樫山少年の心を魅了してやまなかったという。やがて彼が大きく羽ばたくとき、そのOnward(=前へ)いう言葉は背中を押し、旗印となり、社名となり、冠名となったのである。
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シンボリルドルフの死が報じられた。30歳という年齢はむしろ長寿の域に入ろうかという往生である。
名競走馬に与えられてきた愛称や称号はあまたあれど、「皇帝」はその絶対的な強さと相まってまさにルドルフを表しており、永久欠番ともいうべき存在感を放っている傑作だと思う。
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