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旗印は"Onward"  後編

樫山氏は前述の通り年度代表馬に選出されたオンワードゼアをアメリカへ遠征(3戦して7着が最高)させるなど、国外にも早くから視線を向けていたホースマンだった。

60年代に連敗を続けた日本馬の海外遠征を踏まえて行われた座談会「国際レースに勝つには」が、雑誌『優駿』1970年1月号に掲載されている。シンボリ牧場の和田共弘氏やハクチカラの西博氏、野平祐二騎手らとともに参加者に名を連ねた樫山氏は、海外との調教環境の違いやアンチ商業主義の生産理念などを語っている。

樫山氏が国外に残した大きな痕跡の1つとして、*ハードツービートによる72年ジョッケクルブ賞(仏ダービー)制覇がある。わずかレース4日前に大本命馬を購入しての勝利だったことから批判も浴びたが、日本人馬主によるヨーロッパのクラシックはこれが初勝利となった。その後も74年に仏2000ギニーを*ムーリンで勝っている。

国内でも、浦河のオンワード牧場から活躍馬が輩出された。
中山記念や金杯など13勝を挙げたオンワードヒル(63生)、AJCC勝ち馬のニューオンワード(64年生)、オンワードゼア産駒で朝日杯を制したオンワードガイ(68年生)、牝馬ながら阪神大賞典を勝ったクリオンワード(70年生)など、重賞の常連ブリーダーとして名を馳せる。

決して多くない生産頭数ながら、生産者ランクでベスト10にランクされることもあった60年代後半~80年代前半は、樫山オンワード軍団にとっての黄金時代だった。

昭和61年(1984年)に樫山純三氏が84歳で逝去すると、その後も着実に成長を遂げていった本業=オンワード樫山とは対照的に、ハル夫人に引き継がれたオーナーブリーダー事業はいわば惰力による滑空期に移る。

そして海外から導入した優秀な繁殖、あるいは自牧場での育成調教・・そうしたアドバンテージが失われた90年代以降、オンワード軍団が放っていた輝きは次第にその力強さを失っていくのだった。

生前、樫山氏は次のような言葉を残している。

『実行力があるというだけでは、競争相手に差をつけることはできないし、第一、大きな潮の変わり目で、自らの馬力を過信していると、流れに残される。実行力に増して先見性やアイデアが重要なのだ』

世界の競馬に日本が挑み始めた黎明の時代、常に先を考え模索を続けた先達の中に樫山氏はいた。その営みの延長に、世界と渡り合う現在の日本の競馬界がある。冠名オンワードが例え過去のものとなろうとも、その「前へ」の精神は引き継がれていくだろう。

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コメント


クリオンワードは牡馬です。

投稿: | 2011年10月14日 (金) 19時02分

はじめまして。
二本柳俊夫~杉浦宏昭厩舎ファンです。
そんなことから繁殖セールの上場馬をみて、同じことを感じておりましたので、このブログに目が留まりました。
西山牧場さんのように牧場を所有することからは撤退でしょうか?
それにしてもオンワードノーブルからもなかなか活躍馬がでません。

投稿: ハロン坊 | 2011年10月16日 (日) 21時05分

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