小指を踏まれる痛み
競馬にコミットすることになったキッカケや関わり続けているモチベーションというものは、内的/外的いずれの面においても、100人のファンがいれば100通りの答えがあるわけで、そこに普遍性などは求めようもない。
だから無論、このエントリ内容が理解できるとか気持ちがわかるという不遜なことを言うつもりはないのだが、それでもかすかに共鳴する何かが、伏流のように自分の中に横たわっているのも確かだ。
端的なのは黄金頭氏が理由の3つ目に挙げている『日本競馬がやり込みすぎた競馬ゲームに見える』というくだり。
自分の場合は80年代末期から競馬を見続けてきて、それこそ海外競馬に対する憧憬、別の言い方をすれば劣等感、コンプレックスというものが個人的競馬観の下地にはある。
それがホームのJCでは勝つのが当たり前となり、香港でもフランスでも日本調教馬がG1を勝ち、ロンシャンで*モンジューと叩き合い、メルボルンを制し、ついにはドバイWCという一つの頂きに立つに至った。BCや凱旋門といったまだ成し得ぬ戴冠ですら、諦念を知らぬ挑戦の連続によって、もはや幻想ではなく現実の誤差になっている。
また生産の面で言えば、90年代のマル外ブームやSS旋風を経て、生産構造の上部(≒社台グループその他)におけるレベルというのは、少なくとも字面上は欧米とラグをほとんど感じないまでに上がってきている。SS産駒が欧米で種牡馬入りし、アドムーはダーレー日本進出の橋頭堡となり、*アゼリやSarafinaが輸入されるのである。
そうしてたどり着いた高みは自分にすると、やはり<見るべきものは見てしまった>的な境地でもあったりするわけだ。
ただまあ、そういう域にじき到達してしまうだろうという意識は90年代末には内面に芽生えていた。そこで自分が採った方法というのが、黄金頭氏2つめの理由にも関わってくるが、一口馬主へのコミットであった。
彼がそこで言うところの
(競走馬は)大きく言えば人間との関係性の中でしか成立していないわけで、周りの人間込みで一頭のサラブレッドなわけです。そういう意味で、馬主も競走馬の一部といっていい。
というのは自分もよくわかる感覚。それがクラブ馬に肩入れしにくい要因になるのはさもありなんと言うべきであろう。
私の場合はあえて逆に片足の小指くらいを「あっち側」に突っ込んだわけで、それはある意味では身を売ったとも表現できるわけだが、その代償としての痛みだったり喜怒哀楽の生々しい感情を、自身を結びつける媒介にして、今も競馬を続けている。
とまあ、理屈を捏ねればこんな感じだろうか。だからどうしたと言われても、何も答えのない2012年の初エントリはこんなところで。
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