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トリコローレ大臣

さて、小川敏夫氏である。

まあ自分は競馬ファンの中でも「大臣が競走馬のオーナーだった」ではなく「あのイタリアンカラーの馬主が大臣になった」という認識の世代なので、今回のアレは奇妙な感慨みたいなものがあったりした。

ヤメ検の弁護士であった小川敏夫氏がJRAで馬を所有したのは、1986年産の世代からだった。2世代目にあたるヤマニンスキー産駒の牡馬が、今でも所有代表馬に名が挙がるイタリアンカラーである。

イタリアンカラーは明け3歳1月のデビュー戦で2着(勝ち馬は凱旋門賞馬*サンサンの仔スプライトパッサー)。折り返しのダート戦で圧勝を収め、スプリングSでも3着に入るなど素質の一端を見せたが、クラシック出走は叶わなかった。

長期休養を経て4歳夏に本格化し、横山典弘を背に500万→900万→準OPと特別を3連勝。その後2度目の休養に入るが、復帰緒戦も快勝してオープン入りを果たし、93年の日経賞でライスシャワーの2着に健闘している。重賞タイトルは獲れなかったものの、順調に使えれば重賞には手が届いたろうと思わせる素質馬だった。

父のヤマニンスキーはマルゼンスキーと同じNijinsky×Buckpasser牝馬で、イタリアンカラー自身はFlaring Top≒Tom Fool≒Viennaで4・4×4。如何にもNijinskyらしい、芝ダート兼用の力強さを表現している馬だったことを覚えている。

ボトムラインは*アストニシメントに溯る小岩井牝系。最近は活躍馬が出ていないガリアスの分岐になるが、イタリアンカラーの3代母は59年オークス馬オーカンの半妹で、オーカンは皐月賞や有馬を勝ったリュウズキを産んでいる。

イタリアンカラーは種牡馬となって18頭の産駒を残しており、殆んどが小川オーナーの所有馬だ。今回、携帯サイトで調教時計を見ていたとされたフクノツールも実は、イタリアンカラーがBMSであった。

ちなみに国会でのやり取りはコメントする気にもならないが、質問した代議士は、自分が総裁選で推した河野一郎の河野家が、日本の競馬界/馬産界の重鎮ということをご存知だったのかはアサクサキニナッタ。

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