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そこに戦略はあったか

オルフェの天皇賞を終えて、自分の中であれこれ考えたり、TwitterのTL上で断片的に呟いてたことなんかを、ざくっと文章にしておこう。

至極当たり前ではあるが、レース後は様々な意見がTLで渦巻いていた。その多くはオルフェーヴルの敗因に関するものであり、池添騎手のレース読みの批判だとか折り合い至上主義への揶揄、なんかも目立っていたように思う。

そんな中で、馬券上の予想と、レース体系や騎乗論とが渾然としているところは気になった。具体的に言えばオルフェーヴルの気性や騎手のこれまでの乗り方などは予想においては所与の条件であり、換言すればそれらをどう解釈/再構成するのかが馬券上の予想であろう。翻って長距離路線の意義やJRA騎手の技量について語るのは、所与の条件そのものの是非を論じることであって、両者は全く位相を異にする。解っている人には当たり前のことではあろうが。

ところでラップ分析を専門とされているクラスタさんは、残り1600の時点で絶望的な位置取りであったと検証している。具体的な数字を見せられるとなるほどと首肯せざるを得ず、仕掛け遅れではないという指摘には勉強させられた。

さてオルフェである。

陣営に瑕疵を求めるとすれば、戦術どうこう以前の問題だろうと個人的には思う。あの気性を考えれば長丁場で「折り合うこと」が目的化するようなレースをせざるを得ないのは、ある意味仕方ないとは思う。批判されるべきはむしろ、そういった「受け」の展開を強いられるのが誰の目にも明らかな天皇賞路線を選択した点にあろう。

クラシックは能力の違いで圧倒してこられたし、海外遠征を視野に様々な可能性を広げていくという狙いまではわかる。しかし前走の逸走に見るオルフェの危うさが一朝一夕に改善されるわけもなく、また「芝の丈がうんぬん」という天皇賞後の騎手コメントを読むに至り、この陣営のプロスペクトに根っこのところで疑念を抱いてしまうのである。そこにどんな戦略があったのか、と。

オルフェーヴルの強さと速さは素晴しい、それは誰もが理解している。だからこそそれに相応しい競走生活を送って欲しいと願ってやまない。

そしてビートブラック。失うものはないという気概で目いっぱいに仕上げた中村均師と、負かすならこれだという積極的な騎乗をした石橋脩騎手には、賛辞を送りたい。

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