差し水
たまには競馬ネタ以外の文章もつらつら書いてみようか。
大津の自殺問題に端を発したいじめ問題について触れようかと思ったが、各論ではあの事案の事実は何も知らないし、教育分野には疎くて総論を展開することもできないことに気づいた。
いじめと同じような閉鎖系集団に於ける問題として、児童虐待や高齢者虐待がある。
いたましい事件が報道されると、マスメディアのコメンテーターは「なぜ助けあうべき家族の中でこんな悲劇が起きるのか」と眉を潜めて悲しむこととなる。
なぜ家族の中で、ではない。家族という密接した人間関係があるからこそアビューズは起きうる。
プラスにせよマイナスにせよ、家族は濃密な感情によって結び付けられている。
ましてや親と子だけ、夫婦だけといった狭い閉鎖空間であれば、感情の逃げ場がそれだけ少なくなる。
そのままでは少しずつ煮詰まってしまうスープのようなものだ。
水を継ぎ足すこともなく塩辛く煮詰まり、もはや飲めなくなった結果が虐待につながる。
家族は幸せであるべきだ、お互いを思いやれば仲良く暮らせる。それは理想かもしれない。
でも、すべての家族はかくあるべきという幻想に縛られると、愛情が足りないから虐待が起きる、なんていう勘違いが起きる。
育児や介護が濃密な人間関係に依拠する以上、そうした場のアビューズを完全になくすというのは絵空事だと思う。
大切なのは、ご近所でも親戚でも行政でもいいが、家族を「薄める水」があるかどうかだ。
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