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受け継がれた名前/ミノル譚(1)

<国王の服色>

エプソム競馬場には鈍色の空から霧雨が降り続いていた。

だから、集まっていた観衆の中で、その瞬間に何が起きたのかを理解したのは一握りだったかもしれない。小さく悲鳴のような声が上がり、やがて低いどよめきが広がっていった。

馬群が下り坂からトッテナムコーナ-へと差し掛かった時だった。1番人気を背負って先行していたアメリカ産馬Sir Martinが、ぬかるんだ馬場に脚を取られたのか、バランスを崩して突如転倒したのだ。大きな不利を受けた後続馬たちの中には、2000ギニーからの巻き返しを図るBayardoも含まれていた。

スタートでやや出遅れたものの、インコース4番手に押し上げていたMinoruは難を逃れた。

長い直線に入ると逃げていたLouvierとの叩き合いとなり、さらに不利を受けながらも追い込んできたWilliam the Fourthが迫る。最後はMinoruとLouvierが馬体を併せてゴールを走り抜けたが、頭だけ前に出ていたのはエドワード7世のMinoruの方だった。

ギニーに続く勝利で2冠馬となったMinoru。

1909年5月26日、第130回エプソムダービーはこうして幕を下ろした。

エドワード7世にとってダービー馬は3頭目だったが、前2頭(Diamond JubileeとPersimmon兄弟)は皇太子時代の所有馬だった。Minoruは正確に言えばリースだったとはいえ、イギリス国王の所有としてエプソムダービーを勝った史上唯一のサラブレッドである。

記憶に新しいところでは、2011年のエプソムダービーでエリザベス女王2世陛下のCarlton Houseが惜しくも3着に敗れている。エリザベス女王2世陛下もとりわけ熱心に競馬に関わってきていて、これまで Carrozzaがオークスを、Pall Mallが2000ギニーを制するなどクラシックの勝ち鞍も多いが、ダービーだけは勝てていない。

ところでこのMinoruという馬名は、日本人の名前「ミノル」から名付けられたというのが通説となっているが、ミノルとは誰のことだったのだろうか?

イギリス競馬史の一隅にわずか姿を見せるこの人物の謎を追いかけてみた。しばしお付き合いを願いたい。

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