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受け継がれた名前/ミノル譚(2)

<二人のミノル>

1909年のエプソムダービー馬となったMinoru。この競走馬名の由来には、2つの説がある。

一つは、日本の陸上選手「藤井実」にあやかったというものだ。

東京帝国大学の学生だった藤井実は180cmの恵まれた体躯の持ち主の短距離ランナーで、その姿は夏目漱石の「三四郎」作中においても「紫の猿股をはいた背の高い大学生」と描写された。

1902年(明治35年)に行われた帝国大の大会=帝大運動会は、おそらく世界初となる電動計測器が用いられたことで話題となったが、そこで藤井は100mを10秒24というタイムで優勝したのである。

それから10年後、1912年に国際陸連が初公認した世界記録が10秒6という時代だから、この走破タイムはあまりに速すぎた。レースの詳細記録が残されていない点、開発されたばかりだった計測装置の信頼性も未だ確立されていなかった点を考慮すると、計時ミスだったという見解が現在では主流のようである。

実際、当時世界の記録を収集していたAAU(アメリカアマチュア陸上連盟)は、証拠不十分として藤井の10秒24を公式な世界記録として認めていない。

なお藤井の名誉の為に付記すれば、彼は棒高跳びでも優秀な記録を残した一流のアスリートであり、その名が競走馬に冠せられたとしても荒唐無稽な話ではなかろう。

一方、Minoruが生産された牧場内に、当時としては珍しい日本庭園を作った作庭師にその名は由来する、という説がある。

ホール・ウォーカー大佐がアイルランドのキルディアに所有していたTully Studには当時、Tassa Eidaという名の日本人庭師がおり、大佐はTassaの息子ミノルの名を借用して競走馬に授けたのだという。

Tully Studは第二次世界大戦後、アイルランド・ナショナルスタッドとなって今に至っているが、1906年から1910年にかけて作られたというその日本庭園は、現在も一般に公開されている。

俊足の陸上選手か、牧場の庭師の息子か。どちらもそれらしい話ではあるが、現在ナショナルスタッドが公式HPで「庭師の息子」に関するエピソードを紹介していることから考えると、国王のダービー馬Minoruの由来は後者と考えるのが自然であろう。

では、この庭師Tassa Eida=「タッサ・エイダ」というのはいったい何者なのだろう、という新たな疑問が沸いてくる。

素人の域を超える作庭技術を持っていたエイダは、高名な庭師だったのか?

タッサという名前は、日本人としてはいささか不自然ではないか?

タッサは何処から現れ、そして彼と息子ミノルは何処へ姿を消したのか?

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