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受け継がれた名前/ミノル譚(6)

<熊楠日記にて>

ロンドンの骨董店に、奇妙な風采の日本人が訪ねてきた。

8月だというのに古びたフロックコートを着こみ、靴には見事な穴が開いている。洗練されたロンドン在住の留学生や実業家とは全く異なった身なりである。

「福田くんはいるかい?」

彼は、骨董店にしばし身を寄せていた知り合いを訪ねてきたのだった。

店の奥から出てきた福田令寿が、骨董店主と珍客とをお互いに紹介した。

店主は飯田三郎、ボロ服を纏った男の名を南方熊楠という。

南方熊楠は、粘菌を始めとした生物学から、博物学、民俗学、宗教学に至るまで、人並み外れた頭脳とバイタリティで縦横無尽に駆け巡った無頼の学者である。

日本の権威主義的な学校制度に馴染めず、北米から中南米を放浪しながら博物学を独習し、1892年にイギリスへ渡った。ロンドンでは大英博物館の東洋史編纂に携わりながら、多くの論文を科学雑誌「ネイチャー」等に発表してその名を広めている。

一方で金銭や容姿には頓着がなく、キュウリや紅茶しか口にできない極貧の日々が続いたかと思えば、弟からの貴重な仕送りをあっという間に専門書の購入と酒につぎ込んでしまうような破天荒ぶりだった。

1900年に帰国するまでのロンドン滞在8年間の様子は「熊楠日記」などに記されているが、その中にロンドン中心部ピカデリーで骨董店を営んでいた飯田三郎という人物の名が、何度か登場する。

1894年に日清戦争が勃発し、愛国心篤い熊楠はロンドン在住の日本人たちに呼びかけて献金集めに奔走したが、このとき飯田三郎は、華族の六郷政賢や後に外務大臣となる内田康哉と並んで5ポンド寄付したと記録されている。当時の1ポンド=約9円はちょうど日本の教員や警察官の初任給と同程度だったそうだ。

福田令寿は熊本県出身で、1893年に渡英した人物。ロンドン滞在後はエジンバラ大で医学を学び、帰国してからは産婦人科を中心とした医療の発展に貢献した他、社会事業家としても熱心に活動した。

福田の回顧録によれば、渡英する船上、商売人である飯田三郎と親しくなり、エジンバラに赴く前にはロンドンの飯田の家に逗留したのだという。

ロンドン、骨董店、「飯田三郎」という名前の共通項―

この骨董店を営む男が、日英博覧会の日本庭園建築に関わったとされる飯田三郎と同じ人物であるという仮説は、当時のロンドンに於ける日本人社会の規模を考えれば、飛躍というよりもむしろ、蓋然的であるといえないだろうか。

だとしたら、熊楠日記に登場する飯田三郎とは、Tully Studに庭園を作ったTassa Eidaその人に他ならない。

しかし、歩くエンサイクロペディアとも言われた異能の人・熊楠も、その骨董屋の“息子”が後年、世界で最も有名なレースの一つを、イギリス国王の服色で制することになるとは、想像しなかったに違いない。

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