受け継がれた名前/ミノル譚(完)
<100年の旅路>
カナダ南西部、バンクーバーに隣接するリッチモンド市は、沖合を流れる暖流のために経度に比して温暖な気候で、日本人を始めとしたアジアからの移民も多い街でもある。
そのルル島にあるMinoru Parkの名の由来は、地元でも知る者は殆どいなかった。
2006年に在カナダ日系人向けの情報誌に、Jack Loweという記者がある寄稿をした。
それは名馬Minoruと庭師の息子ミノル、そしてルル島のMinoru Parkにまつわる不思議な縁を紹介するもので、ホール・ウォーカー大佐は、「実」という漢字が「真実・現実・誠実」などの意味を表現することから、愛馬にミノルと名付けたのだと伝えた。
これが一つの契機となり、リッチモンド市は公園の一角にある文化センター前に、「国王のダービー馬」Minoruの銅像を建立することになった。
そして2009年8月、完成した像の除幕式に市は、公園ゆかりの人物として飯田親子の末裔であるBrian Eidaをゲストとして招いたのだった。
このセレモニーを発端に、飯田家の歩みがさらに明らかになっていく。
ライターのStun Fukawaは除幕式でBrianと会い、飯田家の歩みに好奇心をそそられて、さらなる調査の協力を求めたという。すると後日、Fukawaの元に一族の婚姻証明書と死亡証明書の写しが送られてきたのだが、この公文書類からいくつかの仮説や推測が真であると証明され、また新たな事実も明るみに出たてきたのである。
まず、Tassa Eidaの公文書上の表記はSaburo Eidaであったこと。
Tassa=Saburoの父はKassouという名で、医者であったこと。
Tassaの妻はClala Florence Alice Narinという名前だったこと。
また死亡証明書によって、Tassaの死亡は、やはり1912年ではなく11年であることが判明した。
そしてTassaの死亡は義父(Clalaの父)が届けており、職業が「庭師」とされていることから、「Tully後」に骨董商には戻っていないこともわかった。
Stun Fukawaは、Tassaというのはイギリス人が発音しやすいSaburoのニックネームであり、Iida→Eidaのスペル違いは、通関や入国審査の際に間違ったまま訂正されなかったのだろうと推察している。
さらに彼が報告するところによれば、日本人のライターが外務省外交史料館で公開されている公文書を調査し、飯田三郎が1893年に渡英したこと、及び彼の父は(Kassouでなく)ケイシュウであり、横浜で開業医をしていたことも追認されたという。
受け継がれた名前。
100年余に渡る長い旅路の細い糸が、つながった。
<レッド・ロータス>
1909年のエプソムダービー馬Minoru。
その由来は、飯田三郎の息子、実(ミノル)だった。
もう一度、飯田家の旅路を振り返ってみよう。
1893年、医師を父に持つ飯田三郎は、船で渡英した。ロンドンでは骨董や盆栽の輸入販売で身を立て、かの南方熊楠とも親交を結んでいる。
しかし事業に失敗して貧困に没し、建築造園の仕事を始める。1900年代には日英博やTully Studの日本庭園にも携わった。
Tullyでは飯田実の名がホール・ウォーカー大佐によりサラブレッドに付けられ、国王にリースされたそのMinoruが第130回エプソムダービーを勝った。
その後、三郎は祖国の地を再び踏むことなく、彼の地で一生を終える。
そして息子ミノルはロンドンに残り、イギリス人女性と結婚し家庭を築いたが、第二次大戦の為に出自を隠し続けていた。
ミノルは本来誇るべき、ダービー馬の由来となったその名前を変え、過去を封印し、言葉に出来ない哀しみを胸に抱いたまま、沈黙の日々を歩んできたのだろう。
この事実を知ったミノルの子孫たちもまた、複雑な想いで生きてきたに違いない。
2009年8月の除幕式の様子は、地元メディアでささやかに取り上げられた。
凛と地を踏みしめた等身大のMinoru像は、誇らしげに左上方へに視線を向けている。
キルディアを訪れた日から20年以上の歳月が流れ、Brian Eidaも齢(よわい)を重ねた。数奇な運命に導かれてそこに立ち、市長とともにMinoru像に手をかけて穏やかに微笑んでいた。
三郎が海を渡って116年、Minoruが勝ったあの雨中のダービーからちょうど100年。
Minoru parkの池に浮かぶ蓮が、三郎とミノルの魂を慰めるように赤い花を咲かせていた。
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