上弦の月
まだ暖かな日差しを背に歩いていたつもりが、ふと気づくと空は茜色と藍色とがせめぎ合い、すぐに日暮れとなる。秋の日は釣瓶(つるべ)落とし、とは言い得て妙な表現だ。冷えた陶器のように輝く月を探しながら上着をかき合わせて、家路を急ぐ。
そんな晩秋のG1としてすっかり定着したエリザベス女王杯が明日に迫った。目前のレース予想をそこそこに過去の名シーンを振り返っていたら、ベストダンシングのことを思い出した。1993年秋、エリ杯がまだ3歳馬限定の2400mだったころの話だ。
ベストダンシングはサファイアS8着の前走だけを見れば実績不足だった。ただ新馬戦からの3連勝があまりに鮮やかであり、社台が”ベガよりも上”と評価していたことが漏れ伝わっていたから、穴人気を集める存在になったのだ。自分も底を見せていない伸びしろに期待したけれど、素質だけで勝てるほど甘くはなく、結果は掲示板に乗る(5着)のが精一杯であった。
勝ったのは「ベガはベガでも」ホクトベガ、2着が後のマイル女王ノースフライト。オークス以来の休み明けでレースに臨んだ2冠牝馬ベガは3着に終わっている。
ベストダンシングは父がベガやノースフライトと同じ*トニービンでBMSがNijinsky。母系は3代母がBest in Showだから、El Gran SenorとTry My Bsetの兄弟や、Blush With Pride(ケンタッキーオークス)なんかの近親になるから、当時としては眩さすら覚えたものだ。その後もこの牝系からは世界中で活躍馬が出ている。アメリカではいずれもベルモントSを勝ったJazilとRags to Richesの兄妹(もちろん*カジノドライヴ)、オセアニアはHurricane SkyやRedoute's Choice、ヨーロッパでは*ザールや*スピニングワールド、Domedriverと、枚挙にいとまがない。
エリザベス女王杯後のベストダンシングは、阪神牝馬S2着などの活躍を見せるも、重賞勝ちには届かずに引退した。
ベストダンシングが繁殖牝馬となり最初に産んだのは、ロンリームーンという牝馬(父*サンデーサイレンス)だった。
ロンリームーンは母と同じ沖芳夫厩舎に入厩したが、体質に弱いところがあったためか、仕上がりが遅れた。デビューしたのは同期たちが華やかなクラシックを駆け抜けた後の、6月の函館だった。
1200mの未勝利戦で見せたロンリームーンの走りは忘れられない。ダッシュがつかずに後方からの追走となったが、3~4コーナーで位置取りをあげると、直線では弾けるように伸びた。既出走馬たちを軽く抜き去り、2馬身を付けての快勝だった。これは只者ではないと思った。未来は無限に広がっていた、はずだった。
しかし、好事魔多し・・次走に向けた調教中に骨盤を骨折する重症を負った彼女は、短い一生を終えた。
ロンリームーンが見せたあの走りは忘れられない。
最初で最後のレースを走ったその夜、空に浮かんでいたのは月齢7日の上弦の月。これから満月へとゆっくり姿を変えてゆくはずだった孤高の月は、そっと闇夜に消えた。
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