「起こらなかったこと」のジャッジ
AJCCはアドマイヤラクティから買っていたから1着と2着が逆になっても馬券には何の影響もなかったわけだが、正直なところ、入線順位の通りに確定したのはかなり意外な印象を受けた。
Twitterの自分のTLには、怒りをあらわにした発言からルールはどうでもいいという意見まで、様々な見解が並んでいた。
他の競技やスポーツのルールと比較したとき、競馬の降着制度は、その二面性という点で非常に特殊な性質を持つのが避けられない。
一つは、ルールの二面性だ。
基本的に競馬は「同時にスタートして先にゴールした方が勝ち」という至極シンプルなルールである。どんなにいい走りや素晴らしい騎乗をしても、ゴール板でハナ差遅れていれば負けは負けであって、この点において主催者はもちろん何人の主観も介入する余地はない。ところが一転、走行妨害の審議になったとたんにルールは主観に拠ることになる。新しいルールで言えば「その走行妨害がなければ被害馬が加害馬に先着していた」か否かという採決委員の判断により結果が定まるわけだ。いわゆる採点系競技(体操、ボクシング等)や、審判のジャッジにより進行する競技(サッカー、バスケ等)とは別に、競走系の競技で「起こらなかったこと」を想定する競馬の審議というのは、かなり異色なルールだろう。
もうひとつは、関わり方の二面性。
競馬の場合は他の「観る」競技と違って、馬券を買う、あるいは馬を所有する(出資する)というコミットにより、ファンは観客であると同時に、そこに参加しているプレイヤーでもある、という二重構造になる。それはつまり審議の結果が客体化されずに、自らの立場に応じた損得と結びつき、感情を伴ったアウトプットがされやすいということになる。当たり前だろう。自分がトランスワープの出資者だったら冷静に「まあルールだから」と納得できるとは思えない。
個人的には新ルールのコンセプトは支持する立場ではある。しかしルールが絶対的なものでないがゆえ、ルール自体の妥当性と同等に(あるいはそれ以上に)ルール運用の信頼性は大事なのだ。そういう意味で今回のAJCCは、審議ランプの件やファンへの説明も含め、JRAの運用がスジ悪過ぎたよなあとは思う。今後はブレのない運用とわかりやすく迅速な説明を尽くしてもらうしかないだろう。
降着制度が導入されたのは1991年で、その年の天皇賞(秋)では、メジロマックイーン降着事件があった。あの時は「まさか断然人気の1着馬を降着なんかにしないよね」的な空気も府中に流れていたから、電光掲示板の着順が消えた瞬間に場内は騒然となり、その後の怒号が飛び交う不穏な雰囲気が続いた。新ルールではマックイーンは降着処分にはあたらないとされているが、当時あの裁定に激怒したメジロのばあちゃんが今生きていたら、何と言うだろうか。「池江さん、またアンタかいな」かな。
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