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プチャーチンの黄金の馬(下)

ベレー帽の老人と再開したのは、下田訪問から半月ほど経った寒い日だった。やっかいな仕事を片付け重い足取りで帰路についた私は、BERGの前で見覚えのある後ろ姿を見つけたのだった。

みぞれが降る悪天候のせいか、店内は前回ほど混雑してはいない。コートを脱ぎカウンターで再会に乾杯すると、挨拶代わりに先週の競馬の戦果などをお互い報告しあった。京都のメインで万馬券を取ったという爺のオーダーは相変わらず黒ビールだ。

「そういえば、この前言ってたプチャーチンって、幕末のロシア人のことですよね?」

「うん。あんまり知られてないけどな」

プチャーチンを語るときの口調は、わずかだが熱っぽく感じられた。

自ら被害を受けながらディアナ号の乗組員達は下田の人々を助けたこと、下田長楽寺で日露通好条約の締結に漕ぎ着けたこと、帰国後も両国の架け橋として尽力し明治政府から叙勲を受けていること、家紋には日本の侍の姿も描かれたこと…娘オールガも後年、戸田村を訪れて父の遺産の一部を寄贈しているという。

背後のテーブルでは、学生らしきグループが映画の話題で盛り上がっている。隣の女性ふたりの肴は会社の上司に対する愚痴のようだ。

「プチャーチンが出港したときのロマノフ王朝はニコライ1世の時代だった。ちなみに皇太子アレクサンドルの名は宝石の名前になって、レース名にもなっている」

しばし考え、アレキサンドライトSだと思い至る。ラシアンルーブル産駒が勝っていれば洒落が効いているなとスマホで調べてみたが、該当馬はいなかった。ラシアンルーブルからイソノルーブルのオークスに想い出話は移り、それは私を少し感傷的にさせた。ハナ差で敗れたシスタートウショウは自分にとって“叶わない願い”の象徴だからだ。そういえばあの年の秋の天皇賞はロシア語で「素晴らしい」という名の馬、プレクラスニーが勝ったな、とほろ酔いの頭で記憶を手繰った。

レバーパテとジャーマンポテトの皿が空いた。私はゆっくりと息を吸い、自分なりに考えていた、あの謎かけに対する解答を提出する。

「あの、この前の・・プチャーチンの黄金の馬って、下田のディアナ号が遺した画ですよね?観ましたよ」

ベレー爺はビアグラスから視線を動かさないことで、肯定した。

「あの画の由来、わかってるんですか?」

「いや」

「描かれた馬の正体を、ちょっと考えてみたんです」

ロイヤルアスコット開催で行われる20ハロンのG1レース・ゴールドカップは、1807年から始まり、現存する中で最も長い歴史を誇るレースの一つである。
1844年、時のロシア皇帝ニコライ1世はイギリスを訪問した際、そのアスコットゴールドカップに招待されている。その返礼だろう、ニコライ1世はロシアに帰国後、勝者に贈るトロフィーを製作させて寄贈した。純銀製で高さ1m近い絢爛なものだ。そしてクリミア戦争で両国が袂を分かつまでの数年間、アスコットゴールドカップは“ロシア皇帝プレート(Emperor’s Plate)”という名で施行されたのだった。

ニコライ1世が観戦した1844年の勝ち馬は3歳牡馬で、翌年4歳時も同レースを勝っている。しかし最初に優勝した時点では、実はまだ競走馬としての名を持っていなかった。

「そこで、アスコットに臨場し観戦していたロシア皇帝に敬意を評して、馬名を付けられたというんですね。その名もズバリThe Emperor。皇帝です。そしてその”皇帝”は美しい栗毛の持ち主だった」

もう一度、深呼吸をする。

「この先は私の想像に過ぎないんですけど…ニコライ1世は、自身に縁深いその名馬の画を描かせて、そのうちの1枚が、新たに建造され日本へ向かった帆船ディアナ号の船室に飾られたんじゃないかって。だから、下田に遺された“プチャーチンの黄金の馬”は、アスコットゴールドカップ連覇のThe Emperorだと思うんです」

黄金の馬にまつわる私の仮説を聞き終わると、爺は残っていたビールを黙って飲んだ。柔らかく滑らかな、白磁器のような沈黙だった。

それから目尻にシワを寄せて笑う。

「なるほど、面白いね。それが本当かどうかは私もわからんけど面白い。…実を言うと私ね、母方にロシア人の血が少し流れてるらしいんだ。そのせいか、あの馬の画を観たとき何故だか懐かしい感覚に包まれた」

「あの、顔立ちを拝見して、もしかしてって思ってました。ディアナ号の船員の誰かが先祖だったりして」

「下田に滞在している時にプチャーチンと日本女性との間に子供が生まれててさ、それから160年後にその子孫が、今頃新宿でビールを飲んでたとしたら、もっと面白いな」

「えっ?…まさかそれ…」

ベレー爺はこの日もグラス4杯を飲み干すとコートを羽織り、謎めいたセリフを置いたまま雑踏に消えていった。

おかげで私はまた、眠れぬ夜を過ごすことになるのだった。

(完)

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コメント

いやー読み応えありました。ベレー爺さんはミッキーカーチスをかってにイメージしちゃいました。ダンディズムのかたまりですね。早くこんな話しできる競馬好きおじさんになりたいです。

投稿: | 2013年3月17日 (日) 10時54分

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