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プチャーチンの黄金の馬(中)

“プチャーチンの黄金の馬”とは一体何のことだろうか?

幕末に来日したロシア人。

プチャーチンという名にその程度の知識しかなかった私には皆目見当がつかない。しかしベレー帽の老人が残した謎の言葉になぜか興味を惹かれ、少々調べてみることにしたのだった。

エフィーミー・プチャーチンは、サンクトペテルブルグの貴族に出自を持つロシア帝国の軍人だった。彼は欧米各国が東アジアへ進出する情勢を危惧し、日本への進出を皇帝に進言する。クロンシュタット軍港を出発したのはアメリカのペリー艦隊がノーフォークを出港するより1ヶ月以上も早かったが、帆船による喜望峰回りの旅程は、予想以上に困難と月日を要した。さらに当時開港していた長崎へと入港し、幕府代表の到着を辛抱強く待つという紳士的な外交姿勢が裏目に出た。浦賀にいわば“土足”で乗り込んだアメリカに、日本開国レースの後塵を拝する結果になったのだ。

1854年10月、最新帆船ディアナ号に乗り換えて再来日したプチャーチンは、幕府の混乱で箱館や大阪を経由させられた末、伊豆半島の下田に入港した。そして同年12月22日にようやく幕府の全権・川路聖謨らを相手に日露通好条約の第一回交渉が行われたのだが、翌23日に大惨事が起こるのである。

安政東海地震―

東海太平洋岸を襲った、マグニチュード8.4と推定される大地震だった。港町の下田にも激しい揺れの後に15メートルとも言われる津波が押し寄せ、村民たちは叫び逃げ惑った。プチャーチン一行マホフ司祭の言葉を借りれば「ポンペイ最後の日に匹敵する」惨劇により850戸ほどの家屋ほとんどが損壊、多くの死傷者を出して町は廃墟と化した。湾内に停泊していたディアナ号もまた大津波に舵と錨を奪われ、副竜骨は引きちぎられ、大きな船体は木の葉のように40回以上回転したという。

大破したディアナ号は後日、曳航中に浸水が止まらず沈没し、約500人のロシア人は沿岸住民の献身により救われた。しかし重なる悲劇にプチャーチンは諦めることなく、戸田(へだ)村=現在の沼津市戸田の地で地元職人たちの協力を得て、替りの小型船を建造するのである。これは近代西洋帆船の建造技術を日本に伝える貴重な機会ともなった。

歴史通には知られた話かもしれないが、浅学な私は初めて知る幕末の一幕だったのである。

こうした日露関係の史実を調べる中でしかし、「黄金」や「馬」に関するようなエピソードは全く登場せず、私は当初の目的である“黄金の馬”の意味するところを探索することは諦めていた。

だから、伊豆熱川へ温泉旅行に行ったとき、バナナワニ園に向かう友人らと別れてひとり伊豆急に揺られ下田まで足を伸ばしたのも、何かを調べるような目的があったわけではない。単にアメリカやロシアの艦船が数多く停泊して開国の舞台の一つとなった下田という町を、歩いてみたくなったからだった。

冬の港町には穏やかな日差しが降り注いでいた。寒桜が咲く寝姿山にロープウェイで登って下田湾を一望し、海沿いまで行ってペリーロードを散策した。オフシーズンだから観光客も疎らだ。それから“なまこ壁”の下田開国博物館に入り、下田港の歴史やペリー艦隊にまつわる資料展示に沿ってゆっくりと歩を進める。

そして展示路の後半、プチャーチンに関するコーナーに差し掛かった私は、ガラスの向こうに1枚の画を見つけて、思わず「あっ」と声をあげた。

キャンバスに描かれていたのは、凛とした馬の立ち姿だった。

四肢はスラリと伸び、栗毛と思しき馬体は、金色に美しく輝いている。

そう、黄金の馬だ!

何も存在しない、時間の流れさえ止まった深い深い海の底に私はいた。自分の心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いた。

どのくらいの時間、画を凝視していただろう。ふと我に帰り、傍らの説明書きに目をやると、「ディアナ号の遺品・名馬の絵」とだけある。条約交渉前に寄贈されたものか、あるいは津波被害を受けた後に陸に避難したものか、どのようないわれのある画なのか…博物館の事務所に聞いてみたも、詳しいことはわからないという。

しかしこれが、ベレー爺が残した謎めいた言葉、“プチャーチンの黄金の馬”に違いない。根拠はないが私はそう確信した。

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