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ひとすじの光

トウカイテイオーが死亡した。年齢を考えればいつその知らせが届いても不思議でないという覚悟はあったから、驚きよりも「ついに・・」という感覚だ。これを機にもう一度書いてみるが、言葉で表現できない想い出も多々あるし、今回は個人的な吐露になるので苦手な方はスルーしていただきたい。

トウカイテイオーは光であり陰だった。先の見えない荒野を手探りで歩いていた当時の私にとって、進路を照らしだす導光だったし、すべてを暗転させる闇でもあった。

そもそもデビュー戦をテレビで見ただけで、あの馬になぜ強烈に惹かれたのか、それは未だにわかっていない。現役時を知らないルドルフに対する憧れもあるし、前髪さらりのルックスもゴムボールが弾むような”テイオーウォーク”も素敵だったし、下総御料に遡上する牝系も好きで、何よりレースぶりが格好良かった。でもこれらは後付けであって、気がつけば何かと比べて好きという話ではない、信じうる唯一の存在だった。

だからダービーの直線を楽な手応えで抜けだした時、レースを見ているというよりも何か神聖な体験をしているような気分になった。嬉しさというよりも幸福で満たされたことを覚えている。

ダービー後に骨折が判明して3冠は夢と消えたが、故障明けの大阪杯を楽勝した。複数の重賞馬が出走するG2を、全くの馬なりで勝つ姿を私も阪神競馬場で観ていた。

テイオーが負けるなんて思っていなかった。勝ち続けるのは自明であって、マックイーンとの対決に沸く春の天皇賞も、なんでわかっている結末を騒ぐのかと不思議に感じていた。京都の4コーナーで後退していくテイオーを目の前で見た時、世界が暗転した。そこから先は何も覚えていない。呆然と立ち尽くす自分にずっと付き添い、高速バス代をカンパして無一文の自分を東京に返してくれた(と後から聞いた)友人達には感謝している。

信じていたかったのだと思う。幼い頃からの大事な友人のひとりを亡くし、一つ年下の彼女と別れ、進むべき進路に迷って、全てに自信がなかった自分は、絶対的な何かが必要だったんだ。そんな大げさなと笑われようと、テイオーは苦しみながら生きていく上での命綱みたいなものだった、あのころの自分にとっては。

テイオーはその後、秋の天皇賞で復帰し、叩き2戦目のJCで3つめのG1を手にする。テイオーがナチュラリズムに並びかけたとき、「差せ!」ではなく「頑張れ!」という絶叫がそこかしこから聞こえた。祝福ムードのスタンドで涙目になった私も、見ず知らずの人と抱き合い握手した。

次走の有馬記念では惨敗した。

ジェットコースターのような競走人生とも表現されるが、まさにその通りで、私もその絶叫マシンに乗って喜怒哀楽と競馬に対する情熱を注ぎ込み、泣いたり笑ったりした。テイオーはすでに絶対的な勝者ではなかったけれど、弱さを抱えながら走っていて、私はそれでもいいんだと思えるようになっていた。

 

そしてあの日が来る。

1年ぶりの有馬記念。三度故障したテイオーの復帰戦であり、結果的にラストランになった有馬記念。

寒い日だった。凍えるような中山競馬場のスタンドだった。

何とか周囲に支えられて野を歩んでいた自分だが、まだ自分の進む道は決められなかった。というより何を目指したいのかすらわからない私は、当然のように就職活動も上手くいかなかった。そのころは家族との軋轢も深くなっていたことも重なり、どうせ人生なんて上手く行きっこない、思い通りになんていかないんだと、醒めた気分に支配されていたのだ。思い返せばなんて青臭いんだと苦笑いするしかないのだけれど。

1年ぶりの復活勝利?そんなうまい話なんてあるわけない。

若葉ステークス以来、全てのレースを生観戦し、額の多少はあれどもひたすら単勝に想いを載せ続けてきた私は、初めてテイオーの馬券を買わなかった。

いくら買ったの?と問われて、引きつった笑顔でレガシーワールドの名が印字された馬券を見せると、周囲は戸惑っていたっけ。

そして、抜けだしたビワハヤヒデの背後に見えるのはピンクと青の勝負服。前髪を冬の空気になびかせ、テイオーが迫ってきていた。

「頑張れ」という言葉しか、喉から出なかった。

スタンド中に響くテイオーコールを、私は座り込み、嗚咽しながら聞いていた。テイオーなんて終わったと言ってた奴らはコールなんてして欲しくない。でもそういう自分はどうなんだ?これまでずっと信じてきて、嬉しいことも悲しいことも共にしてきたのに、いつも励まされ力をもらってきたのに、全てだったのに、信じられなかった。情けなくて情けなくて悲しくて、最低だ。

それはもう、取り返しがつかない喪失感だった。自分の中で何かが壊れて、これからは自力でまた積みあげなきゃいけないんだと、スタンドの地面を見ながら覚悟をきめた。そしてウイナーズサークルのテイオーを遠くから見た。復帰叶わず有馬が最後のレースになったから、それが私が見たテイオーの最後の姿だ。

 

テイオーの最後の有馬記念の映像を、最後まで観られるようになったのはわりと最近のことだ。

トウカイテイオーが大嫌いだ。追いかけたばかりに何度も何度も嘆き悲しみ、叩きつけられて苦しんだ。自分のくだらなさや小ささを思い知らされる、底なしの暗闇だった。

トウカイテイオーが大好きだ。生きることに絶望していた自分を照らしてくれた。だから今もなんとか生きて、競馬も続けている。光だった。間違いなく光だった。

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