ゴールデンアワー
家路の途中にふと夏空を見上げると、オレンジと黒とが溶け合う、美しくも仄暗い色あいだった。日没直後の僅かな時間にしか現れないこの間接照明のような空は、見とれているとあっという間に闇に覆われていく。残るのはセミの鳴き声と寂寞である。
後から調べてみると、その瞬間はマジックタイムとかゴールデンアワーと呼ばれているらしい。
ゴールデンアワー。
その名で思い出すのは、かつて走っていたアンバーシャダイ産駒。マエコウファーム(後のノースヒルズ)が初期に送り出した活躍馬だった。
クラシック路線では脇役に過ぎなかったゴールデンアワーは、古馬になって徐々に力をつけて、5歳春の大阪杯でトウカイテイオーの2着。その後長い休養を挟んで7歳まで重賞戦線で走り続けた。
あのころのマエコウファームは、開場から10年に満たない新進のオーナーブリーダーの一つで、徐々に頭角を現し始めた頃だった。92年にレットイットビーが朝日CCを勝ち、94年5月に新潟大賞典を勝ったゴールデンアワーが、自家生産馬としては初の重賞ウイナーになった。
ところでゴールデンアワーの牝系を遡ると3代母に*ミスハワイという牝馬がいる。もともとはPapalinahoaという名前が付いていたのに、本邦輸入後に名前を変えたのは、おそらくこの馬がハワイ産という一風変わったバックボーンを持っていたからだろう。
ハワイには興行としての競馬は無いから、馬はかつて家畜管理の一環として持ち込まれたのだろうし、あるいは現在なら観光資源として活躍の場があろう。そんな環境下で何故サラブレッドが生産されていたのかは定かではないが、*ミスハワイは曾祖母の代からハワイで生産されてきた。
1928年生まれのOrmesbyは、1世代上のケンタッキーダービー馬Gallant Foxと配合(父Sir Gallahad×母父Celt)も馬主(ウィリアム・ウッドワード)も同じだったから、アメリカ東海岸で大きな期待が集まったものの、ステークス競走を勝った程度の結果に終わった。そんなOrmesbyも引退後、ハワイに渡った1頭である。Ormsebyは牛の牧場を主業とするワイメアのParker Ranchに飼養され、後に*ミスハワイことPapalinahoaの母父となっている。
ちなみにハワイ産というくくりで言うと、千代田牧場が輸入したこの*ミスハワイの他にも、*アーミーや*カピクアといった牝馬が戦後輸入され、日本で産駒を残している。
*ミスハワイはその後分岐を広げ、ゴールデンアワーの他にもキョウエイタップ(エリザベス女王杯)やシルクムーンライト(北九州記念)などの重賞ホースを産み、今世紀に入ってからもチェレブリタが京都牝馬Sを制している。しかし残念ながら、キョウエイタップの仔は不振を極め、チェレブリタは早逝し、この牝系は消え去ろうとしている。日が暮れた後の、空のオレンジ色のように。
一方で、ゴールデンアワーを産んだマエコウは、少なからぬブリーダーが行き詰まりを見せた90年から2000年代にかけても着実な成長を続けてきた。98年にはノースヒルズに名を変え、設備投資や育成スキルの向上を弛まず続けた。また良血牝馬を導入するのと並行して、社台グループ等のパワーも上手く自らの推進力として取り入れた。ファレノプシス、グレイトジャーニー、ノーリーズン、サンデーブレイク、ビリーヴ、ヘヴンリーロマンス。近年もトランセンドやアーネストリーが各路線の主役を張り、ついに今年はキズナがダービーを射止めた。
ノースヒルズはまさに”黄金のとき”を迎えようとしている。
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