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光陰矢の如し

拝復 私の拙文に対して感想を書いて頂き、ありがとうございます。

過日のトウカイテイオー追悼文は単に青臭くナイーヴな独白であって、いい歳したおっさんが勇んで書くような内容ではありません。しかしテイオーに関して言えば、そうした恥ずかしい過去と不可分の存在であり、いつかそういう等身大の情けない自分を昇華させる必要がありました。

ニッチなブログをあのように書いて貰って嬉しいかぎりです。私自身は文章を書くことを生業としているわけではありません。ただ昔から書くことは好きでしたし、ある時期に文章を他人に徹底的に推敲されるという貴重な経験を経たことで、基本的な作法のようなものは身についたのかもしれません。様々な表現方法がある中で、私の場合は文章を書くということ一番しっくりくることだというだけです。

(付け加えておきますと、エントリの中に登場する出来事や人物の全てが実在するものではありません。全くのフィクションの場合もあり、あるいは何らかの象徴として人格化している場合もあります)

 

文章を書くテクニックというのはかなりの部分、後からでも学んだり身につけたりできるのです。大事なのは「表現したい」という熱量です。

いくるさんの書く文章は、とてつもない熱量を帯びています。

それは後から理屈で作り出せるものではなく、自身の中でうごめく憧れや嫉妬や怨嗟や絶望や希望、そうした生々しいものからしか、生まれ得ないものです。

競馬に関してユニークな切り口で語る人はたくさんいます。イラストや写真や映像で見事な表現をする方々も数多く、感心させられることばかりです。

ただし生々しい熱量をそのまま表現できる文章を書く人は、観測範囲ではそう多くいないと思っています。いくるさんはその中のひとりですし、私はそのファンでもあります。

次にお会いしたときはもう少し、いろいろなお話ができればと私も願っています。

敬具

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