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一日にしてならず

判官びいきの性格ゆえか、強すぎる社台グループに対してはアンチの視点で競馬を見ていた時期は自分にもあった。その認識が変わるきっかけのひとつだった吉川良の「血と知と地」をひさしぶりに再読してみたが、好き嫌いの別はあれども吉田善哉という人物が放ち続けた熱は、凄まじかったんだなあと改めて思った次第。

自分の中の整理の意味も含めて、同書をベースに吉田一族の簡易なジェノグラムを作ってみた。敬称略で容赦いただきたい。

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吉田善太郎は明治11年に父らと共に北海道に入植し、農耕業を営む。

善太郎の子である吉田善助はホルスタイン種をいち早く導入したことで知られる。また昭和3年、叔父の権太郎の影響を受け競走馬の生産も始めたが、これが現在の社台ファームの源流ともいうべき社台牧場である。

 

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善助は3男4女を設け、吉田善哉はその3男だった。

長男の善一が社台牧場を受け継ぎ、次男の善二郎は習志野牧場。善哉は昭和30年、母の死を機に独立し千葉県富里に社台ファームの看板を掲げる。繁殖8頭からの船出だった。

 

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平成5年に巨星・吉田善哉が逝去した後、グループは3兄弟へと引き継がれた。

照哉はフォンテンブローファームの経験も経て現在は社台ファーム(社台RH)を率いる。照哉の長女は「アイアム」の冠名で知られる堀紘一の子息と結婚している。

早来の原野を切り開いた勝己はその後、ノーザンファーム(サンデーレーシング)で本邦競馬界を牽引。

三男の晴哉は追分ファーム。

それぞれの妻や子の名前も馬主として馴染みであろう。

なお、吉田善哉の父善助が競走馬生産に舵をきる端緒となった吉田権太郎の吉田牧場は、後にクモワカ、テンポイント、ワカオライデン、フジヤマケンザンなどを生産して時代を築いている。
吉田牧場は現在吉田重雄の弟である晴雄が継いでおり、重雄の息子直哉はケンタッキーでWinchester Farmを経営している。

 

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生きることすら困難だった戦中戦後も、消えることない情熱と、血を啜るかの如き労苦で牧場を守り続ける吉田家の生き様は、「血と知と地」の中でも最も胸に迫る一章である。

社台ファームは、最初から「社台ファーム」だったわけではない。

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コメント

私も吉川良氏のこの本読みました
現在の社台の天下という状況を思うと、今の吉田一族(善哉氏直系)のなかから飛び出て独り立ちする人間が出てほしいと思います
 

投稿: おっとどっこい | 2014年3月18日 (火) 19時33分

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