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ピエレットはそっと微笑んだ(2)

ところで鶴巻氏を語るとき、欠かすことができないエピソードのひとつが“ピエレットの婚礼”の落札であろう。A.P.Indy落札の前年、1989年11月にオークションに掛けられた“ピエレットの婚礼”は、奇才パブロ・ピカソが若き日に描いた作品。長い間その行方が知れなかった名画が忽然とその姿を現したのだから、好事家たちが色めき立ったのは無理もない。

そのオークションで、欧米のコレクターたちを向こうに回して競り合ったのが鶴巻智徳その人である。パリの会場と東京の東急文化村を衛星中継で結ぶ派手な演出の中、1億フラン、2億フランと値が上がっていく。全日空ホテルで主催したパーティ会場に身を置きながら電話で競りに参加していた鶴巻氏が落札者としてコールされたとき、その価格はなんと3億1,500万フラン(約74億円)に達していた。

この90年前後には、安田生命がゴッホの“ヒマワリ”に58億円を支払い、大昭和製紙会長・齋藤了英氏はゴッホの”医師ガシェの肖像“を120億円で、ルノワールの”ムーラン・ド・ギャレット“を136億円で購入した。バブル期における日本人の美術品収集は、海外から侮蔑まじりの視線を浴びるほどの熱に浮かされていたのである。ちなみに齊藤了英氏は馬主としても活動しており、その息子の齊藤四方司氏は、フジキセキやジャングルポケットのオーナーとして名を知られている。

問題の“ピエレットの婚礼”は1905年に描かれた油絵で、青く沈んだ色調は「青の時代」を、ピエレット(女道化師)のモチーフは「バラの時代」を象徴すると言われる。2つの作風の過渡期に産まれた、ピカソのキャリア前期における代表作の一つである。

1907年にピカソの友人でもある画商ジョセフ・シュトランスキーに購入された“ピエレットの婚礼”は、一時期パリの百貨店主の手に渡ったという噂が囁かれた。しかし80年近くその行方は杳として知れない状態が続き、第2次世界大戦の混乱の中で焼失したのではないかとも言われていたのだった。

実際は1945年以降、ピカソの息子であるパウロ・ピカソが所有しており、その後持ち主となったスウェーデンのコレクター、フレドリック・ルースが、オークション会社のジャン=クロード・ビノシェに売却を相談したことから、1989年に陽の目を見たというのがコトの経緯だったようだ。

鶴巻氏に落札された“ピエレットの婚礼”は、オートポリスアートミュージアムの目玉作品だった。日本にやってきた後は、大分県立美術館、横浜美術館、静岡県立美術館と各地に巡回展示されて大きな話題を集め、そして90年10月27日にオートポリスが正式にオープンすると、パドックビルに展示された。そして約1年後の91年10月20日にようやくミュージアムが開館したが、そこは残念ながら、名画の安住の地にはならなかった。

バブル崩壊。膨らみ続けるはずだったバブルが文字通り水泡と帰して熱狂の時代が終焉を迎え、オートポリスの開発費800億円はすでに焦げ付いていた。鶴巻王国の象徴でもあった“ピエレットの婚礼”はミュージアム開館からわずか3日展示されただけで債権者により運びだされ、以降その姿は公の場には現れていない。

アメリカでA.P.Indyが破竹の活躍を見せていた翌92年には、オートポリスの親会社である日本トライトラストも1200億円の負債を抱えて倒産したのだった。

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