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ピエレットはそっと微笑んだ(3)

さて、問題の“ピエレットの婚礼”が落札された1989年11月には、もう一つピカソの絵画がニューヨークでオークションに出品された。

コメディの登場人物アルルカンの衣装を身につけた自画像“ラパン・アジルで”である。ラパン・アジルはパリに実在するカフェで、ピカソが足繁く通った場所として現在も観光名所の一つとなっている。

“ラパン・アジルで”を売りに出したのはロリンダ・ルーレという女性で、元はといえばロリンダの母であるジョアン・ホイットニー・ペイソンがその作品の持ち主だった。ホイットニー家は実業家・篤志家としてその名を広く知らしめる名家であり、またアメリカの競馬・馬産の世界においても、長きにわたり大きな功績を残した一族でもあった。

例えばペイソンの叔父ハリー・ペイン・ホイットニーはリーディングオーナーの座に就くこと9回、生産者としても名種牡馬Broomstickを擁し、Regret(ケンタッキーダービー)、Top Flight(3・4歳牝馬チャンピオン)、Whiskery(ケンタッキーダービー)、Equipoise(年度代表馬、リーディングサイアー)など数多の活躍馬を送り出している。

ハリーの息子コーネリアスは父ほど派手な成果を残したわけではないが、イギリスからMahmoudを導入し、名繁殖牝馬Almahmoudを生産している。後にNorthern Dancerや*デインヒル、Haloらを輩出するAlmahmoud牝系のスピードは、現代競馬に革命的な刷新をもたらしたと表現しても過言でなかろう。「競馬の殿堂」を創設したのはコーネリアスだ。

ペイソンも、父から競走馬の厩舎(Greentree Stable)と生産牧場とを受け継ぎ、兄ヘイと共同経営をしている。生産馬には1942年のケンタッキーダービー馬Shut Outを始めとして一流馬が数多く含まれ、アメリカ3冠レースを7勝もする大成功を収めた。また所有した快速馬Tom Foolは年度代表馬に選出され、引退後はGreentreeで種牡馬として供用されて今日のサラブレッドの血統にも大きな影響力を及ぼしている。

この他にもペイソンは、生物科学研究の財団を設立したり、ニューヨーク・メッツの初代球団代表を努めたりと多方面で活躍している。また美術品にも造詣が深く、“アジル・ラパンで”は数多くのコレクションとともに、50も部屋がある広大な彼女の自宅に飾られていたものだったそうだ。

オークションでアネンブルグ氏に落札された“アジル・ラパンで”は後にニューヨークのメトロポリタン美術館に寄贈され、対価として支払われた4,070万ドルの一部はホイットニー家の意向でチャリティに寄付された。闇に消えた“ピエレットの婚礼”と脚光を浴びる“アジル・ラパンで”。奇しくも同じ画家によって同じ1905年に描かれ、同じ84年後にオークション会場で耳目を集めた両者は、あまりにも対象的な境遇に置かれることになったわけである。

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