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蝶が羽ばたく日

今年の凱旋門賞は、JRAによる初の海外競馬の馬券発売という一つのエポックとなった。

人気の盲点ではとFoundの単複を仕込んだ私は記念すべきレースを的中させることができたが、それは一方で日本から挑戦したマカヒキの敗北を意味していた。

初めての中2週であり、前哨戦とはまったく異なるハイペースであり、はたまた外枠で脚が溜まらなかったという主旨の鞍上コメントも聞こえた。
マカヒキの敗因については、時計勝負で完敗した点を含めて、様々な観点から言及されるだろう。

一つ言えるのは「力を出せなかった」という表現は意味をあまり持たないということだ。”自分たちのサッカーが病”と同様、「力を出せない」ことを含めてその瞬間の実力である。それがあまねく勝負事の理(ことわり)だから。

それにしても、と凱旋門をこじらせた古参ファンである自分が思い返してしまうのは、やはり1999年の*エルコンドルパサーのことになる。

渡邊隆オーナーがKingmamboとのマニアックかつ斬新な交配を夢想し、アイルランドの片隅にまで追いかけて手に入れた繁殖牝馬*サドラーズギャル。そこから始まった壮大なエルコンドルパサー物語は、3歳でJCを圧勝したのち、充実の4歳をすべてヨーロッパ遠征に捧げるという陣営の英断によって、クライマックスを迎える。そしてあの*モンジューとの叩き合いの末、わずか手のひらから零れ落ちた光。

この*エルコンドルパサーの功績は、日本競馬界に大きな波紋をもたらした。遥か遠くにそびえ立っていると思われた欧州2400路線の頂点が、実は自分たちが手を伸ばせば掴めそうな位置にあるのではないかという気づきだ。ありていに言えば、蛹から羽化するする蝶のように、「憧れ」が「現実」にその姿をかえつつあるという感覚。

しかし同時に、矛盾するようであるが、その「現実らしきもの」が手を伸ばせばすぐ掴めるのだという、いわば錯視に我々はとらわれるようになったとも言える。

長年にわたるヨーロッパ競馬への憧憬とこの錯視の相乗によって、今世紀に入ってから凱旋門賞への日本馬の挑戦は、いささか偏執ともいうべき熱を帯びたわけである。

ディープインパクト以後も本邦であらゆる栄誉を手中に収める金子真人という稀有なるオーナーの所有馬なら、今度こそさまざまな困難を飛び越えてサラリと快挙を成し遂げるかもしれない。それが現実となり、こじらせた「凱旋門症」に終止符を打って欲しいというのが、私の内心の思いではあった。しかし今年もまたそれは実現しなかった。

*サドラーズギャルを求める旅で始まった*エルコンドルパサーの物語は、あのロンシャンのゴールで終わったはずだった。しかしたぶん違う、*エルコンドルパサーは日本競馬界に錯視という壮大なるトリックを仕掛けたのだ。だから私たちはみな、ゴールの光が見えているにもかかわらず、17年後もいまだその迷路の中を歩いている。日本調教馬が凱旋門賞を制するというゴールにたどり着き、羽化した蝶が羽ばたく日こそが、*エルコンドルパサー物語の本当のエンディングなのだろう。

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