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それでも道は続いていく(前)

寒春に降り続いた雨が上がり、阪神競馬場に降り注ぐ眩しい陽光。その牝馬のデビュー戦は、ちょうど当日の気候のように、あまりに鮮烈だった。

唯一の未出走馬であったにもかかわらず、ホウユウピアレスは逃げた一番人気の*グリーンデイを楽に追走。直線に入るとあっさり抜け出して、ダート1200mで3馬身差の快勝を収めたのだった。3着馬はさらに10馬身後方でもがいていた。1994年3月16日のことである。

ホウユウピアレスは、下河辺牧場が輸入した母*オールフォーロンドンと父*リズムとの間に産まれた鹿毛馬。この時点では誰もが明るい将来を描いていただろう。

しかし彼女のキャリアは決して順調なそれにはならかなった。デビューの後は長期休養に入り、2戦目はようやく翌97年6月、さらに休養を挟んで98年3月に3戦目。いずれもブランクを感じさせないスピードの違いで圧勝し、そのレースぶりは稀有な才能を再確認させるに十分であった。

その後はわりと順調にレースを重ねられるようになり、短距離で計6勝を積み重ねたが、しかし最終的にオープンや重賞戦線で活躍するまでに至らなかった。当初に抱かせた期待が大きかっただけに、ついて回った脚部不安がなければどのような競走成績を残しただろうかと、そんな夢想を抱かせる素質馬だったといえるだろう。

そして残念なことに、彼女は繁殖牝馬として後世に血を残すこともできなかった。

 

ホウユウピアレスがデビューした1994年に小沢健二は、『ぼくらが旅に出る理由』で

<ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり
                                                   誰もみな 手をふってはしばし別れる>

と詠った。泣きながら笑いながら、何かを手に入れ何かを失い、出会い別れてそれでもぼくらは歩いて行くのだ、と。

 

ホウユウピアレスの2歳下の半妹もまた、姉に劣らぬ天賦のスピードに恵まれていた。*ドクターデヴィアスを父に持ち、姉と同じ中尾謙厩舎に所属したロンドンブリッジである。1996年夏に札幌のデビュー戦を快勝するや、続く500万下、11月のファンタジーS(G2)と鮮やかに3連勝を飾って、一躍クラシック候補に名乗りをあげたのだ。

(続く)

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