ふさわしき矜持 ~ 2017凱旋門賞雑感
というわけで凱旋門賞だが、Enableの強さはご覧のとおりで、ここに何かを加筆する必要もなかろう。注目されたサドラー近交に関しては、すでに08年のドイツダービーをKamsinが勝利した際に指摘されていたその有用性と可能性とが、2×3という一層鮮やかな姿で具現化されたレースだったと言えようか。
そして日本馬。率直にいうと今年はサトノダイヤモンドの挑戦とその結末が、私の心の中にそれほどの爪痕を残していないというのが現実だ。
それはサトノ両頭に特段の思い入れがない自分の内的要因もあるし、前哨戦の結果によって勝利への希望が薄れてしまったせいかもしれない。そしてもうひとつ理由があるとすれば、池江調教師の「日本でやれば(Enableにも)負けない」というレース後のコメントに対する残念な想いだろう。
日本でやれば負けない。確かに府中2400の舞台で同じメンバーのレースがあったとしたら、サトノダイヤモンドが地の利を存分に発揮して勝つ可能性は高いし、私もそれに異存はない。しかしそれが、凱旋門賞に出走した名馬の調教師が敗戦の弁として語った瞬間に、今回の尊い挑戦が陳腐なそれに見えてしまうのは私だけだろうか。
思い返されるのは、オルフェーヴルがジェンティルドンナに競り負けたJC。池江師が残したあのときの「たられば」コメントに感じた寂しさが、繰り返されている。
オルフェーヴルもサトノダイヤモンドも、当代を代表する名馬である。仮に悔しい敗戦であったとしても、そこに語られる言葉には、名馬にふさわしい矜持がなければいけないのではないのか。そうであって欲しいと思うのは勝手すぎる思い込みだろうか。
モヤモヤした気持ちをなんとなく書いてみたものの、今回の凱旋門賞の回顧には一切なっていないから、ここまで読んで方には申し訳ない思いしかない。慢性化した私の凱旋門賞こじらせ病は今年も寛解することなく、物語は来年へと続く。
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