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誰もが知っている

3年前の2015年、名馬さん(@maybaelectric)が制作した同人誌『皿ブレッド』に、10篇のコラムを寄稿させていただきました。そのうちサイレンススズカについて書いた拙文を再掲します。

いつからその名で呼ばれているのか、知らない。
なぜそれほどまでに澄んでいるのか、誰も知らない。
でも僕らはみな、見上げれば広がる青さを、空と呼ぶことは知っている。

サイレンススズカのデビュー戦は東京競馬場のモニター越しに見ていた。

「また圧倒的人気に応えるサンデー産駒か、よくある話だ・・」

レース前はそんなシラケた気持ちでいた僕だが、その走りを見てちょっとしたショックを受けたことを覚えている。単に速いだとか強いという表現だけでは足りない、とにかく美しく、才気が溢れていたのだ。

しかし3歳時はその激しい気性が足枷になっていた。弥生賞ではゲートを潜った挙句に出遅れて大敗。プリンシパルSを勝って臨んだダービーでも折り合いを欠いて、サニーブライアンから1秒以上離されての敗北である。

だから、陣営が何とか気性をコントロールしようと試行錯誤したのも当然だった。天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、香港C。しかし結果が伴わない歯がゆい日々が続く。そして辿り着いたのは、その溢れ出る才能を飼いならすことではなく、爆発させることだった。

4歳となったサイレンススズカの走りは、まさに才気煥発だった。金鯱賞の大差勝ちも、初タイトルとなった宝塚記念も、*エルコンドルパサーや*グラスワンダーを一蹴した毎日王冠も。いまだに何度レースを見返しても、それらのひとつひとつが素晴らしい芸術作品の趣さえある。

最後のレースとなった秋の天皇賞は東京競馬場で見ていた。

向こう正面から3コーナーへと快調に飛ばすサイレンススズカと武豊。このままとてつもないレースが見られるかもれしれないという期待の一方で僕は、美しすぎるが故の儚さも感じていた。この幸福な時間がずっと続きはしないだろう、何故かそんな暗い予感がそこにあった。

サイレンススズカは府中の4コーナーで散っていった。そしてオフサイドトラップがゴール板を駆け抜けてからしばらくの時間のことを、残念ながらあまり覚えていない。騒然とする東京競馬場のスタンドから、サイレンススズカ以外の馬たちが駆け抜けていった直線の芝を、ただただぼんやりと眺めていた。涙も声も出なかった。

サイレンススズカがどこからやって来たのか、知らない。
なぜ用意された運命が、あれほどまで悲しいものだったのか、誰も知らない。
でも僕らは、速く強く美しい、サイレンススズカというサラブレッドが生きたことを知っている。

見上げれば空があるように。

そういうことだ。

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