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歴史の必然

アーモンドアイがライバルたちを抜き去り、悠然と3つめの冠を手中に収める瞬間、京都のみならず府中のスタンドにも期せず拍手が沸き起こった。過去の列強牝馬にもなかなか似たタイプが思い浮かばず、国外まで思索をひろげれば、凱旋門まで見事に差し切ったザルカヴァの面影だろうか。

秋シーズンに牝馬限定のG1が創設され、初めて3冠を達成したのはご存知メジロラモーヌである(当時はエリザベス女王杯が世代限定戦)。ちょうど府中の競馬博物館では、秋季特別展「メジロ牧場の歴史 ”白と緑”の蹄跡」が開催されており、レースの合間に足を運んだのだが、横山典弘騎手が発案というこの企画はなかなか秀逸な内容だった。

受胎能力を疑われ種牡馬失格の烙印を押されたメジロアサマを諦めず、生涯わずか19頭の産駒から天皇賞馬メジロティターンを生み出したのは有名な逸話だ。第1回オペラ賞(現G1)を勝った*シェリルに惜しげもなくアサマを付けた執念が凄まじい。

北野豊吉が「ティターンの仔で天皇賞を」という遺言を残したというのはさすがに脚色だろうと思っていたが、実際にその言葉を親族に託した翌日、豊吉は自宅で逝去したという。そして実際にメジロマックイーンが父系3代で天皇賞を制するという偉業を成し遂げたのだから、フィクションでも描けないようなドラマと言えよう。

そんなことを思いながら展示されていた1992年天皇賞(春)の盾を眺めていると、あの日受け入れられなかったトウカイテイオーの敗戦、すなわちメジロマックイーンの勝利が歴史の必然のように感じられ、胸にこみ上げるものがあった。

その他にも山田泰成騎手(メジロパーマー)、奥平真治調教師といった関係者の貴重なコメントは興味深かったし、豊吉が牧場開設を決心する契機となったメジロオーの鼻差負け(昭和36年日本ダービー)決勝写真なども貴重な資料として見入ってしまった。

関東大震災をきっかけに上京した北野豊吉が開設したメジロ牧場は、最後までオーナーブリーダーを貫き、メジロのおばあちゃんこと北野ミヤの「引き際は潔く」という遺志に応じて、東日本大震災の年に歴の幕を下ろした。

歴史は繰り返す、のではない。歴史は積み重なるのだ、先達の想いの先に。

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