星明かりは見えずとも(3)
星を連れてきた。
私はすっかり冷めたフライドポテトを口に運びながら、その意味をぼんやり考えた。人の間を縫うようにクロブチさんが戻ってきたころには正解にたどり着いていたから、自分もまだまだ捨てたもんじゃないな、なんて思った。
「星って、下総御料牧場の基礎牝馬ですか」
「そうそう。星旗、星若、星濱、星谷、星富、あと・・星友」
すらすらと名が出てくるのはすごい、そう言うと苦笑いする。
下総御料牧場の基礎牝馬とは、1931年と翌32年に輸入された繁殖牝馬を意味する。実はこの6頭を選定したのは他でもない、一條友吉であった。彼がその慧眼と見識を買われて、宮内庁の下総御料牧場から繁殖牝馬の輸入を委任されたのは、輸入前年の1930年/昭和5年のことだ。
イギリスを中心とするヨーロッパの血脈を多く取り入れていた当時の本邦に、これからはアメリカの血を導入する必要があると一條は考えた。そして、かつて自らが見聞を広めたアメリカに渡り、よりすぐりの牝馬を購入して御料牧場に輸入したのである。
この「星の基礎牝馬」から生まれた名馬は枚挙の暇がない。ほんの一例をあげれば、星旗の直仔クモハタに始まり、ハクチカラ、テンポイント、ダイアナソロン、イナリワン、サニーブライアン、近年ではゴールドシップに至るまで、多士済々である。
社台グループを築き上げた吉田善哉氏は子どものころ、父親である吉田善助氏とともによく御料牧場の星の牝馬たちを見に行ったと、吉川良が著した『血と知と地』で述懐している。まるで女王に見えた、という表現が星たちの煌めきを何よりも表していよう。
そして私は大事なことに思い至った。星友の娘で、牝馬ながら東京優駿大競争(日本ダービー)を勝ったヒサトモ。そしてヒサトモの血を大事に紡いだ先にトウカイナチュラルという牝馬が生まれ、ナチュラルは皇帝ルドルフとの間にトウカイテイオーを産んだのだ。美しくほろ苦い味が、喉と胸の奥に広がった。
私の気持ちを読み取ったかのように「言ってみれば、一條友吉がいなかったら、トウカイテイオーも存在しなかったということで」
そう向かいの席で笑うクロブチさんの表情はどこか懐かしく、ずっと昔からの友人のような気持ちになるから不思議だ。
付け加えると、下総御料牧場と覇を競った小岩井農場の基礎牝馬群20頭はイギリスから1907年/明治40年に輸入されたが、その牝馬たち岩手山麓の小岩井農場で飼育管理し、多くの名馬を送り出したのは、馬作りの名人と呼び声高い高橋勝四郎。同じ時代(一條が1歳年上)に同じ岩手で生まれたマエストロのふたりが、日本競馬の礎を競い合うように作っていた。
「今の競馬の隆盛は最初からそこにあったわけじゃなくて、多くの先人たちの努力とか情熱がね、積み重なった歴史なんですよね・・・一條友吉のような人のね」
メガネの奥にまた強い光があった。
「・・・だから、簡単に岩手の競馬を廃止なんてしちゃいけないんですよ」
クロブチさんと別れ店から出ると、師走の新宿駅の喧騒が私を現実に引き戻す。混み合った電車に揺られ車窓から冬の夜空を見上げたが、あいにくの曇天で星は見えなかった。しかし目に見えずとも、星はそこにあるのだ。
今度はみちのく大賞典を観に行こうと、そう思った。
(おしまい)
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