« 平成の競馬をちら見で振り返る | トップページ | 三里塚のマロニエ(2) »

三里塚のマロニエ(1)

「…おい、本当に大丈夫なのか?」
その日、横濱海港検疫所に期待を持って集まった農林省や宮内省の高官者たちの間に、思わぬ戸惑いが広まった。当時の価格で18万円、現在の貨幣価値に換算すれば約30億円という巨額の資金を投じて手に入れ、遠い海を渡ってきた名馬が目の前にいる。

ところがその黒鹿毛馬の後脚は、あたかも混沌とした時代の行く末を暗示しているかのように、湾曲していたのである。

*ダイオライトは昭和10年、宮内庁下総御料牧場が種牡馬として導入したイギリス産馬だ。 キャリアの後半はやや尻すぼみな競走成績に終わったとはいえ、3歳時には英2000ギニーを勝ち、英ダービーでも人気を集めた実力馬で、御料牧場にとっては8年前に輸入し成功を収めていた*トウルヌソルに続く期待の新種牡馬だった。

史上初めて日本の土を踏んだイギリスのクラシック勝ち馬に対する期待と、馬体面に起因する懐疑や不安。全く相反する空気が交錯する中、*ダイオライトの種牡馬としての可能性を堂々と主張する”擁護派”の筆頭が、当時馬主として頭角を現していた加藤雄策(かとうゆうさく)である。

埼玉県出身の加藤は、商船学校から出版業界に入り、平凡社専務から独立して自ら出版社(非凡閣)を創立するという異色の経歴を歩んだ。そして仕事を通じて交友を持った競馬通の作家・菊池寛の影響もあり、競馬界に足を踏み入れることになる。

元来の勉強熱心さから競走馬にのめり込んだ加藤は、昭和9年に馬主となると、昭和14年の東京優駿(日本ダービー)馬クモハタや昭和16年の中山四歳牝馬特別(現在の桜花賞に相当)を勝ったブランドソールなどを 所有するに至った人物だ。相馬眼にも相当な自信を持っていたと伝えられている。

その加藤の所有馬の中で最も有名なのは、*ダイオライトを父に持つセントライトで間違いないだろう。

昭和15年に小岩井農場のセリにおいて加藤に購入されたセントライトは、翌年3月にデビューすると快進撃を続ける。わずか2戦目で現在の皐月賞にあたる横浜農林省賞典四歳呼馬を勝ち、5月には東京優駿、秋には京都農林省賞典四歳呼馬 (菊花賞に相当)にも勝利した。

日本競馬初のクラシック三冠馬の誕生である。現在とは大きくレース体系が異なるとはいえ、その快挙の価値はいささかも損なわれるものではなかろう。

三冠達成の後はレースで酷量を背負わされることを知り、加藤はセントライトを早々と引退させた。稀代の名馬はデビューからわずか7ヶ月で疾風のように表舞台から去っていったのだった。

*ダイオライトはこの3冠馬セントライトを筆頭に、テツザクラ(京都農林省賞典四歳呼馬)やタイレイ(中山四歳牝馬特別=桜花賞に相当)、グランドライト(帝室御賞典=天皇賞の前身)など短距離馬から長距離馬まで多くの活躍馬を輩出して不安説を一蹴、4度にわたりリーディング サイアーの座についている。その功績は、下総=千葉県にある船橋競馬場の重賞競走ダイオライト記念による讃えられている。

ちなみにセントライトもまた、中山競馬場の菊花賞トライアル・セントライト記念に名を残しているのは周知の通りで、本邦において父子が揃って重賞競走の名称になっているのは現在、*ダイオライトとセントライトだけだ。

(つづく)

|

« 平成の競馬をちら見で振り返る | トップページ | 三里塚のマロニエ(2) »