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三里塚のマロニエ(2)

北総台地の三里塚(=現在の成田市三里塚)に開かれた下総御料牧場は、この*ダイオライトと*トウルヌソルの2枚看板種牡馬、さらに「御料牧場の星の牝馬」と称される輸入繁殖牝馬群を擁し、戦前から戦後にかけての本邦馬産界を牽引した。

星の牝馬の末裔から数多の活躍馬が産まれ、競馬史に名を刻んできた事実はここに敢えて記すまでもないだろう。

戦後も存続自体は許された下総御料牧場だが、サラブレッドの生産規模は縮小。そして昭和44年、成田空港の建設・開港によりその歴史に幕をおろし、牧場自体は栃木県高根沢町に移転して現在に至っている。ロードサイドのチェーン店や戸建て住宅が立ち並ぶ今日の三里塚に、由緒ある御料牧場の面影はほとんどない。

成田市や富里市周辺にはかつて、御料牧場以外にも社台グループの出発点となった社台牧場(後の社台ファーム千葉)やシンボリ牧場などの多くのブリーダーが本拠を構えていた。現在も育成牧場や外厩として活用される施設は点在するものの、馬産地としての役割はほぼ終えている。富里インター近く、かつて社台ファーム千葉が存在した場所はショッピングセンターとなっており、シンボルだった銀杏の大木だけが隣接する広場に残されている。

また、古くは*ロイヤルチャレンジャー、*ノノアルコ、*ロイヤルスキー、90年代以降にはイシノサンデーや*ロドリゴデトリアーノなども供用されたJBBA下総種馬場も平成19年に閉鎖され、跡地はドッグランなどを有するペットホテルに転用された。

下総御料牧場は、そもそも競走馬の生産を主目的にしたものではなかった。下総牧羊場を前身とし、牧畜(家畜の飼育やチーズなどの加工品生産)と農耕(野菜・穀類)を中心とした多角経営が行われていた。特に牧場の基礎となった牧羊は、明治期にアメリカ人アプジョーンズを技術責任者として招聘するなど盛んに行われ、牧場の羊肉料理がジンギスカンの原型になったという一説も存在する。

閑話休題。

こうした時代の変遷を経て存在がすでに歴史となっている御料牧場だが、かつての敷地の一部が「三里塚記念公園」として整備されており、同公園内の御料牧場記念館が唯一、牧場の在りし日々を現在に伝えている。

公園入り口から伸びるマロニエ並木を抜けると、正面に建つのが御料牧場記念館だ。当時の建築の雰囲気を残した平屋造りの記念館には、明治から昭和にかけての貴重な牧場内の写真や用いられていた農耕機具、皇族や文化人との繋がりを示す資料などが展示されている。そして記念館の近くには、*トウルヌソルと*ダイオライトの記念碑、そして日本獣医学の父とも呼ばれた第5代場長新山荘輔像が静かに佇んでいる。

公園内にあるもう一つの建物が、貴賓館である。前述のアプジョーンズが公舎として用い、後に来賓を歓待するために当地に移設されたそうだ。表は茅葺屋根の純和風であるにもかかわらず、裏に海外からの来客をもてなすために造られただろう洋風の玄関とホールが併設されている。風変わりな意趣が観るものの興味を惹く。

その貴賓館のさらに奥に進むと、やや地面が盛り上がった一帯が目に入る。 地下にあるのは第二次世界大戦中に造られた防空壕。それもただの防空壕ではなく、東宮(当時の皇太子=先日退位された明仁上皇)のために秘密裏に造成された「御文庫」と呼ばれる壕なのだ。

(つづく)

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